昨年5月下旬に思い切ったデジタル・デトックスに踏み切ってから、私はYouTubeとはちょっと距離を置いていた。
だが、6月頃から、何故か、私の心に馴染む(染み通るような)チャンネルにいくつか偶然に巡り会った。
その内のひとつの動画を観て、仁科神明宮を訪れた事については、既に、当WiL稿房で配信した(https://triglav-research.com/?p=55775)。
実は同じチャンネルで「諏訪」に関連した巨岩(磐座)を紹介しており、見た瞬間に衝撃を受けた。
仁科神明宮が「懐かしさ(既視感)」だとすると、巨岩の方は「義務感」とか「使命感」といったよくわからない感情が込み上げてきた。
理由は説明できないけれど、兎に角、行かなくっちゃ!
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昨日は、午後はオンライン講演の予定が入っていたが、午前中はフリータイム。
そんなわけで、茅野の守屋山に鎮座する巨岩を訪れて、お参り(感謝)してきた。
岩の名前は「小袋石(おふくろいし)」。
有名な「諏訪七石」の中では最大の巨岩(高さ約12m・幅約8m)である。
この「小袋石」の何が凄いのかというと、岩の真下を「中央構造線」が通っている(と言われている)。
そして、岩の鎮座する守屋山が、ちょうど、糸静構造線(フォッサマグナの西端側)上に位置するのだそうだ。
中央構造線は西南日本の内帯と外帯の境界、フォッサマグナは、東北日本と西南日本の境目であり、それらが交差する重要ポイントを守る(封じる)、正に「要石」と呼べる存在なのである。
プレート的には、ユーラシアプレート、北米プレートが鬩ぎ合い、さらにはフィリピン海プレートが潜り込むという、「特異点の守り神」とも言い得る。
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不思議な事に、通常、磐座と呼ばれる場所には、数多くの岩があるのだが、小袋石は「孤高の巨岩」であり、周囲には岩らしきものがまったくない。
言い伝えでは、約7,500年前(縄文時代前期)、八ヶ岳の北横岳が大噴火して、その際、飛来してきた噴石(巨岩)であるとの事。
「孤高感」という意味では、小淵沢 大滝神社近くの「神供石」を上回る場所にあり、ミシャグジ神が降臨する岩として崇められているという意味では「神供石」と共通なのだ。
要は小袋石は「特別な岩」なのである。
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守屋山の小袋石へと通じる小道から歩いて2分程の場所におとちゃんを駐車。
美しい水が流れる沢に掛けられた板を渡ると、空気の雰囲気が変わった。
この沢が「神域」との境界なのであろう。
小袋石の鎮座する場所に辿り着くまでに、4社の神社にお参りするのはYouTubeでわかっていた。
まずは「磯並社」。

続いて「瀬神社」。

そして「穂股社」。

最後、小袋石の一番近くに「玉尾社」。

守屋山の山中に、「磯」とか「瀬」といった海(水)にまつわる神社があるのが意外であった。
後で調べてわかったのだが、それもそのはず、かつてはこの周辺までが諏訪湖の水面であり、小袋石の別名は「舟つなぎ石」であることを知った(YouTube動画ではこの点に付いて触れていなかった)。
地球変動のダイナミズムを感じたな…
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そして、玉尾社の右手には、大きな大きな苔生した岩が…
「小袋石」であった。
瞬間、込み上げてきたのは「ありがとう」という言葉であった。
何に対してなのか上手く説明できないのだが、兎に角「感謝🙏」するしかなかった。
以下、見る角度によってまったく雰囲気が異なる「不思議な小袋石さま 八景」↓
その後の事は、どうも頭の中に靄がかかったような感じで、記憶がちょっと曖昧だ。
だが、動画も写真もしっかりと撮影できていた。スマホって、本当に便利だね!
私は、ちょっと疲れ気味なんだな…
気が付いたら小袋石に左手で触れていて、とっても温かく感じた事を覚えている(これも神供石と同じだ)。

そして、小袋石が中央構造線の真上に鎮座していることを改めて確認。


理屈抜きで、感動したな…
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再び沢を渡って、神域から人間界へと戻って、やっと気が付いた。
ああっ、小袋石さまが日本列島がバラバラに砕けないように、しっかりとあの場で、結び、守ってくれているんだね!
ただただ感謝🙏であった…
— One Life, Live It !