なぜか「デジャヴュ」が止まらない @仁科神明宮

やっぱり、どうも先月頃から、世の中が大きく変化したように思える。

何がどう変わったかを説明するのは難しく、所詮は、個人的な感覚に過ぎない。

でも、妙に惹かれる人やモノ、これは私がやらねばならないな!という事などが、ハッキリとわかる(見える)ようになってきた。

その逆で、近寄っちゃ駄目だよという人やモノ、これは私の役割じゃないね!といった見切りもすぐにサラッと出来る。

こういった判断が正しいのかどうかはわからないが、迷うことがないので、兎に角、気分が爽快なのだ。
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私は、昨年の5月下旬に、思い切った「デジタル断捨離(デトックス)」を実行した。

「有象無象の情報の洪水」に対して距離を置いたことが、何となく人間が本来備えている「直感力」を磨いてくれたように思える。

SNSやYouTube等々、ネットから得る情報の量は、ビジネスで必要な「コア情報」の部分を除くと、3分の1程度に減ったイメージだ。

YouTubeのチャンネル登録数なんて、ピーク比で5%位に減らしてしまったのだが、別に何の支障もなく、その後も増えることはなかった。

だが、先月から今月に掛けて、私の心に馴染む(染み通る)ようなチャンネルにいくつか偶然に巡り会った。

視聴していると、何となく心がスッと軽くなるような感覚を覚えるのだ。
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先々週の半ばに、その内のひとつのチャンネルを見ていたら、「仁科神明宮」という長野県大町市の神社を紹介していた。

まったく初めて目にする(耳にする)神社であったのだが、不思議と、とても懐かしい気持ちが込み上げてきて、この神社にお参りせねばと思った。

こういう気持ち(欲求)には素直に対応するのが私のモットーである。

一昨日(21日)の朝、7時半過ぎに、社主さまとおとちゃんでオフィスを出発。

中央道と長野自動車道を快走して9時過ぎには、仁科神明宮の駐車場に到着した。

社務所が9時から開くとの情報を元に組んだドライビングプランであったが、あまりにもスムースな行程で、私も(°0°)

幹線道路から仁科神明宮へと向かう道は、古くからの住宅街を通り抜けて行くような、ちょっと細くて複雑なルートだったのだが、そこもスンナリとクリアし、気が付いたら駐車場だったのだ。

まるで何かに導かれるかのように気が付いたら駐車場に到着していた。まずは、参道に入ろうかとした時に感じた既視感… 前にも訪れたこと、あったかな?

まるで、仁科神明宮のナビゲーション機能に導かれたような感じだったね!
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決して長くはない参道を歩き始めてからは「既視感(デジャビュ)」の連続であった。

何となく懐かしいというよりも、「あれっ、来たことがあるんじゃない?」という感じだった。

社主さまに尋ねると「少なくとも、私は初めてよ!」との事。

「もしかすると、子供の頃に訪れたことがあったのかな?」と思ったのだが、私の両親は「信心深い」という形容詞とは対極のタイプの人間だったし、そもそも、神社よりは「お寺」派なので、そんな事はなかった。

かつては、3本が並んでいて、中央の1本が突風で倒れたというご神木を見ると、ああっ、何か(誰か)を守るために身代わりになって下さったんだなという考えが頭に浮かんだ。

元は3本が立ち並んでいたご神木。中央の1本は、何かを守るために身代わりになったのだなという思いが頭に浮かんだ。
中央の杉が突風で倒れたのは昭和54年3月30日であったとの事。その後も根元の部分をしっかりとお守りするところに、日本人のご神木に対する畏敬の念が現れているね!

独特な形状の「手水舎」も何故か初めての気がしない。

境内には、摂社のお社が22社もあった。

摂社が境内に立ち並ぶ光景も見慣れた感じがした。

唯一の例外は何も感じない「池」だったね…

なぜか、この池だけは既視感を覚えなかった。これも、不思議だな?
鳥居の左脇にある社務所は、午前9時に開いたばかり。早速、ご朱印を授かった。
三の鳥居の奥にご神門が見えてきた。
ご神門の奥に拝殿・本殿と続く構造である。

極め付けは、本殿を左脇から眺めた時の感覚だった。

本殿を左脇からお参りした。ああっ、ここは仁科神明宮の中でも「特別な場」だな。でも、光景は確かに記憶があるぞ…

あれっ、この神々しい特別な光景を以前にも体験したことがあるぞ!

本殿の右脇には、元ご神木の巨大な根元がしっかりと祀られていた。やっぱり、大きな木はどんなお姿になっても「神さま」なのだ。
右脇からも本殿をお参りした。ご本殿の屋根の上に大きな枝が落下しており、ちょっと驚いた。
摂社のひとつ「都波岐社」は、手水舎の奥に鎮座。ご祭神は「猿田彦命」で、道の神、旅人の神さまだ。ここも特別な波動を発するエリアだったな…

こんな感じに「不思議感覚」の連続であった。

そしてお参りを終えて、元3本だったご神木の前まで戻った時点で、感動!

参拝を終えて、元は3本あったご神木の前にまで戻った。ご神木の枝の1本が、まるで龍神さまのようなお姿で、私達を見送ってくれた🙏

ご神木の枝がまるで龍神さま(昇り龍)のお姿のように、私と社主さまを見送ってくれたのである。

ちなみに、仁科神明宮のご祭神は「天照皇大神」であらせられ、「神明造」の本殿は、この造りの建築物では、わが国で唯一の国宝指定を受けている。

本当に由緒正しき、私にとっては「特別な神社」であった。

神社って、不思議で、なぜか懐かしくって最高だね!

— One Life, Live It !

 

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