生まれ故郷の南房総市を訪れている間に「梅雨明け」するものと予想していたのだが、不安定な天気が続き、そんな雰囲気ではない。
元々「南国的」な気候の地であったが、もう「熱帯化」しているような印象である。
今回は、2日目の所用の関係で隣接する鴨川市のリゾート施設に宿泊。
午前6時過ぎに起床、部屋のある14Fのバルコニーから房総半島を見渡した。
南には「太平洋」、北には「房総丘陵」の山々が展開する。
南房総の最高峰は確か「愛宕山」で山頂の標高は400m強だったはずだ。最高峰でも富士見高原よりも900mも標高が低いのである。
前日走行した林間ドライブウェイでは「照葉樹林」が延々と続いた。八ヶ岳の森とは、植生も醸し出す雰囲気も、まったく別物なのだ。
眼下の海では、早朝からサーフィンを楽しむ人達がいた。八ヶ岳では、決して見ることの出来ない光景だな…(当たり前か)。
我ながら「第2の活動(生活)拠点」として選んだ八ヶ岳が、生まれ故郷とは色々な意味で「対照的な地」である事を実感した。
午前9時前からメインの目的であった所用に対応し、1時間半弱で終了。
その後、実家に立ち寄って、ノンビリする間もなく自宅への帰路へ。
新百合ヶ丘自宅での所用が夕方にはあったので、1日目とは異なり「レク要素」のまったくない旅となった。
慌ただしい1日を終えて、実家から持ち帰った「昭和の懐かしグッズ」を眺めた。
1970年に家族と「大阪万博(EXPO’70)」を訪れた際に購入した「太陽の塔」の置き物である。
最近、マイブーム化しつつある「昭和懐古(https://triglav-research.com/?p=33399)」のひとつのシンボルとして、八ヶ岳オフィスの土偶レプリカさん達に仲間入りさせるために実家の書棚から探し出してきたのだ。
もう購入から50年以上が経過しているので、さすがにかなり汚れて、部材が劣化しているように見えた。
改めて手に取ってじっくりと観察。あれっ、もしかすると表面に汚れが付いているだけかな?
自宅のバスルームに持ち込んで、激落ちくんで磨く事約10分。
新品同様とまではならなかったが、太陽の塔は再び輝きを取り戻した。
私は「昭和の輝き」を持ち帰ったような、とても幸せな気分になった。
しかしまあ、岡本太郎画伯が、縄文土偶を太陽の塔のモチーフにしたと言われるだけあって、見事に雰囲気が似ているな!
縄文時代の最大の特性は「持続可能な社会モデル」であった事だと個人的には考えている。
そして現在、「SDGsに向けた取り組み」が、 Withコロナ時代の最大のキーワードとなっている。
我が国は、この太陽の塔の置き物のように再び輝きを取り戻せるか否かの「正念場(最後のチャンス)」を迎えつつあるのかもしれないな…
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