コロナワクチン副反応にも嫌われた「徒然なる夏の日」

私は、痛みや熱等の肉体的ダメージに対して、おそらくは普通の人の何倍も敏感(弱い)だと思う。

もっとも「普通の人」の感覚を確認しようがないので正確な事は言えない。

だが、社主さま(家内)によると、私は「痛みや熱に対して大袈裟に騒いで我慢できない性格」なのだそうだ。

これについては思い当たる節が多々あるので否定できない。

ゆえに、社主さまの指示もあり「コロナワクチン第2回接種日の翌日」となる昨日は、予定を入れずに「1日自宅待機」とした。

私と同じ一昨日に第2回目の接種(モデルナではなくファイザー)を受けた社主さまのお友達から、昨日の朝、Lineがあったそうだ。

その人も私と同じで、第1回目の副反応は皆無に近い状況だったらしい。

だが、2回目を接種した日の夜、37度後半の熱と激しい頭痛に襲われて、つらくてほとんど眠れなかったとの事。

社主さまは、私もそんな状態になる事を本当に心配(期待?)したようだ。

昨日の朝食に際に「あなたはどう?」と、改めて聞かれた。

冷静に自身のコンディションをチェック。な~んの副反応(欠片)も無いぞ!

1回目は少しは感じた接種部分の腕の張りも、朝起きてみたら2回目はほとんど感じない。

起床後に体温を計った際には、36.4度で平熱だった。頭痛、倦怠感その他の異常もまったく無し。

ちょっと現れた「品のない(つまらない)駄洒落」が頭に浮かぶ現象も朝起きてみたら消えていた(あれが唯一の副反応だったな…)。

そんなわけで「気持ち悪い位に元気なんだけど」と、正直に社主さまに伝えた。

すると「熱や痛みに過剰反応するあなたが、なにも副反応が無いと言うなら、それは本当に無いという事よね…」という言葉が返ってきた。

私はいつもそんなに大袈裟に騒いでいたんだろうか?

まあ、確かに手をちょっと切った程度で「破傷風」になったらどうしようかなんて心配をいつもするのは確かだ。

続いて「騙されて、ただの水でも注射されたんじゃないの?」という滅茶苦茶な事を言う。

さらには「副反応にも嫌われたのね。コロナもあなたには寄りつかないんじゃないの。」とまで辛辣な言葉を浴びせられた。

「副反応にも」の「も」って、どういう意味なんだろうか?

ワクチンの副反応よりも「言葉の暴力」のダメージの方が大きかった。
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「そんなに元気なら、朝の内にお墓参りに行ってしまいましょう。」と社主さまから提案があった。

昨日は、社主さまの父君の「命日」だったのである。

D4を私が運転して、自宅から15分程の場所にある霊園に向かった。

社用車D4は、この日は珍しく自宅で自家用車的な利用となった。自宅(川崎)では「諏訪」ナンバーは「他県ナンバー」車である。

いつ来ても、最初は「緑豊かな素晴らしいロケーションだな。」と思う。

だが、その後周辺を見渡すと変電施設が近いためか「高圧鉄塔」や「送電線」が周囲の景観を台無しにしている事が残念で、思わず溜め息をついてしまう。

緑に囲まれた素晴らしい環境の「霊園」なのだが、変電施設が近い事もあり、高圧鉄塔と送電線が林立している。

私の「電柱・電線・太陽光パネル嫌い」は、別に「八ヶ岳」だけではないんだよな…(https://triglav-research.com/?p=33069

私の「電柱・電線・太陽光パネル嫌い」はどこに行っても同じだな…

だが今日は、鉄塔や電線以外にも気になる事があった。

「立ち枯れ」している木があちらこちらに目立つのだ。

周辺の木々を観察すると「立ち枯れした木」がかなり目立った。

私はこれでも「森林インストラクター」資格登録者だ(仕事とは何の関係も無いが…)。

どんな場所に行っても、周辺にある樹木の事はかなり細かく観察する。

これまで、お墓参りに来て「立ち枯れの木」が気になった事はなかったのである。

Noteくんの高倍率ズームで確認すると、立ち枯れしているのは、どれも広葉樹の大木(遠目ではナラ系に見える)である。

ああっ、ここにも立ち枯れだ…

勿論、紅葉の類などであるはずもない。なんか嫌な感じだな…

その後も気になって、D4運転中に点在する緑地帯の状況をチェック。

立ち枯れしている木の多さに、ちょっとビックリ。

この世界に何が起こっているんだろうか?

ちょっと「憂鬱な気分」になった。
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お墓参り後は自宅書斎で仕事。

これまで東京オリンピック競技のTV視聴はほとんど皆無。

開会式すら見ていない。だって、興味ないんだもの…

そんな私の事を、社主さまは「非国民」と呼ぶ(これも言葉の暴力だ)。

そういう類の事を口にする普通の日本人が、我が国を無謀な第二次世界大戦(大東亜戦争)に進ませたんだぞ!

なんて反論は、決して口にしない(零細企業経営者とはそういうものなのである)。

そんな私が、唯一応援していたのが、女子ソフトボールの「上野選手」だった。

彼女の「古武士」とか「修験者」を思わせる佇まいは私を惹きつける(求道者特有のオーラだよな…)。

そんなわけで、昨晩は、女子ソフトボールの決勝戦を初めてTV観戦。

最終回に上野投手が再登板した時には、これこそ「粋(イキ)」だなと監督の采配に拍手。

13年ぶりの金メダル獲得には、私には珍しく素直に感動した。

感動の余韻で、録画してあったオリンピック番組をいくつかチェック。

私から見れば、選手は皆「超人」である。

オリンピックのレベルは「努力」云々でどうなる世界ではないな… 

DNAレベルで特別な才能を有して生まれてきた人達が、運良く、自分を最大限輝かせる事の出来る道を選ぶ(巡り会う)事が出来たのであろう。

世の中とはそういうものだ。

要は、自分が「比較優位」にある分野・領域に、いかに早く出会うかが大切なのである。

だが、ある競技の金メダル獲得シーンに目が釘付けになった。

「韓国」の男子団体ア-チェリーである。

そこでは、お腹のちょっと出た普通のオジさん(他人の気がしない)達が、2大会連続の金メダル獲得に歓喜していた。

凄いな! 本当におめでとう。

何となく「超人然」としていないアーチェリーの金メダリスト達に好感を覚えた。

「よ~し、僕もアーチェーリーで、これからオリンピック金メダルを目指すぞ!」と思わず呟いた(ボウすら触った事ないけれど…)。 

毎年、プロ野球ドラフト会議の前夜に「今年こそは自分が指名されるんじゃないか」と期待に胸を膨らませる高揚感に近いものを感じた(草野球すらした事ないけれど…)。

隣にいた社主さまからは「そう、頑張ってね。」という気のない返事が…

こんな「徒然なる夏の日」もたまには悪くない。