「焚き火台」の物語 ・・・ 頑張る自作の「鉄チン焚き火台」

私の手違いでデスクトップPCの背景画像に映し出された2001年の写真を眺めていたら、やがてその年のGWに調達した350本の枕木が搬入された時の写真が表示された。

350本の枕木が次々に搬入されたのは2001年のGWだった。搬入業者さんに「造園業者さんですか?」と問われ「いいえ、金融関係の仕事です。」と答えたら、怪訝な顔をされたな…

その後に続いたのが、枕木駐車場や枕木スロープを我がDIYライフの師匠であるTさんに助けていただいて、もの凄い勢いで増設していく写真であった。

当時は、まだ30歳代だったから、あんな無謀なことが出来たんだよな…

8月下旬になると写真は、枕木DIYでは最も難工事となった「枕木テラス」の作業へと移っていった。

枕木駐車場やスロープが完成し、枕木系工事では最大の難工事となった枕木テラスに着手したのは2001年の夏の終わりだった。

テラスなんて、ウッドデッキ風に作ってしまえば簡単だし、コストも枕木よりもはるかに安い。

敢えて「枕木製」とした理由は2つあった。

そのひとつは、愛車を本宅のすぐ脇にまで移動・駐車する事が出来るようにするためだ。これは、「柳生博」師の「愛車には敷地内でも最も良い場所を用意すべし」という教えに忠実に従ったものだ。

当時の愛車はランクル100に変わっており、現愛車のD4と同じく車重は2.5t を超える重量級である。ウッドデッキではその重さに耐えることは不可能だったのだ。

もうひとつの理由が「安全に焚き火を楽しむためのスペース確保」である。

ウッドデッキの部材は、我が家の場合はすべてWRC(ウエスタンレッドシダー)製。雨には強いが火には弱い(本当によく燃える)。

焚き火どころか、BBQの火種が落ちた程度で、燃えて穴が開く(経験済み)。

そんなわけで、焚き火を安心して思いっ切り楽しむために、枕木テラスは火種位では焦げすらしない、最も分厚い輸入物の枕木を敷き詰める事にしたのである。

さらに、焚き火台を置く枕木の下のスペースは燃えるもののない「中空構造(下は土と石だけ)」とした。

その上で、焚き火台の下を完全に覆うことの出来るジュラルミンの板を2枚用意するという徹底した「安全に焚き火を楽しむ体制」を構築したのである。

そこまで手間暇掛けて焚き火のために用意した枕木テラスであったが、実は気に入ったタイプの焚き火台(ファイヤープレイス)が見つからず、実際の「八ヶ岳焚き火ライフ」をスタートしたのは翌2002年のGWからであった。

それ以降、膨大な数の焚き火を楽しむ写真が記録されているのだが、「火入れ式(焚き火台を最初に使う日)」の写真は別フォルダにしっかりと残すようにしてきた。

焚き火台初代。火入れ式は2002年4月28日。Coleman製で耐久性は抜群だった。約5年の寿命を全うした。
焚き火台2代目。角形から丸形に変わった。火入れ式は2007年5月3日。こちらもColeman製で耐久性に優れ、初代に次いで4年程活躍してくれた。
焚き火台3代目。武骨からスマート路線に変えたのだが、投入できる木の量が一気に減ってしまった。火入れ式は2011年4月1日。耐久性も他の焚き火台に劣り2年半の短命で使命を終えた。
一番お洒落だった4代目。火入れ式は2013年9月22日。こちらも短命で2年3ヵ月で5号機にバトンタッチ。4号機の場合は、オフィスセルフビルド期に重なり、使用頻度が極めて高かったことが短命の要因だった。
最大のサイズだった焚き火台5代目。火入れ式は2015年12月27日。投入する木の量は圧倒的に多く、そのためか、ほぼ3年で蓋の部分がポッカリと抜け落ちて、役割を終えた。

現在の6代目はタダで手に入れたスチールホイールを加工した初のDIYタイプだ。そのシンプルな構造と耐久性は過去最高。

投入できる木の量は3代目よりも少ないが「焚き火で心和む」という楽しみ方には最も適しているように思える。

購入からDIYへと変わった現行6代目。スチールホイールが焚き火台にピッタリなんて(°0°)だった。
6代目の火入れ式は2018年12月8日だった。

今年からは、お隣にお庭の囲炉裏台(BBQ台)を並べて「ペア体制」に移行。

焚き火だけではなく「社主さまのアウトドアクッキング」の良きパートナーとして貢献してくれている。

現在のお庭の囲炉裏とのペアスタイル。手前の焚き火台を取り囲む丸いベースは5代目の残骸を加工したもの。奥の囲炉裏の周辺の四角いベースは3代目の生き残り部分を耐熱塗装した物である!

こんな具合に、歴代の焚き火台の写真を並べただけで、22年目を迎えた八ヶ岳ライフを振り返ることが出来る

「焚き火台」が綴る物語だ…