明日から、10月最終週に予定している講演資料の作成に着手する計画だ。
「地域金融の興亡」と題した講演で、地域金融機関の動向を過去20年程度の期間を対象に分析する事を考えており、そのため2000年~2002年頃の地域銀行の財務データを保存したフォルダを今日の夕方事前チェック。
すると、ちょっとした拍子に「2002年の八ヶ岳ライフ」を記録した写真フォルダを誤ってクリックしてしまった。
懐かしい写真のサムネイルがずらっと表示され、思わず見入ってしまった。
車は前愛車の「ランクル100」だった。
今見てもカッコいいが、やっぱりD4の方が洗練されたスタイリングだな…
薪ストーブ用の広葉樹の玉切りをまとめ買いしている写真もあるな。
これをまだ小学生だった三男と枕木テラスに運んだ事を覚えているぞ。
あの頃は薪も安かったんだよな。
20年前の思い出が次々と甦った。
ふと、本宅や庭を撮影した写真が目に留まった。
そうか、2002年は、現在の「お庭のフラットスペース」を追加購入する前だったんだ。
かつて、このスペースは雑草と雑木が繁茂する正に「荒れ地」だったのである。
さらに写真を見ていくと、現在のオフィスが建っている場所から本宅を撮影した写真も発見。
今となっては撮影不可能なアングルからの写真であった。
2002年の写真を眺めたのは、ほんの10分程だったが、八ヶ岳庭作り20年の歴史が「走馬灯」のように脳裏に浮かんだ。
我ながらよく頑張ったな…
1999年に八ヶ岳本宅を購入する際には、社主さまも含め色々な人から「どうして敢えてこの場所(建物)なの?」と不思議がられた。
でも、私には、この場所が土地を追加購入して、しっかり手を加えれば「私好みの場」になる確信があったのだ。
我ながら見事な位に計画通りに「八ヶ岳の拠点」が出来上がったな…
大切なのは「現在の姿」ではなく「未来予想図」をいかに描くかなのだと思う。
by『八ヶ岳稿房主』