昨日、ルノーのディーラー訪問から自宅に帰った後、珍しく〆切のある仕事を抱えていなかった私は、午後から Dropboxのファイルの整理に取り組んだ。
1時間程、仕事関連のファイルの「断捨離」をした後、息抜きに我が「八ヶ岳ライフ」の写真や動画の記録を保存したフォルダを開いた。
暦年別、テーマ別に見事に整理されていた。
我ながら、この「几帳面さ」には感心するな…
でも、面倒な性格なので人には好かれないだろうと自分でも思う。
上から2つめに「2001年」のサブフォルダがあった。
ちょうど20年前、私が40歳の時の記録である。
八ヶ岳本宅の購入契約を結んだのが1999年、実際に使用し始めたのが2000年の夏場以降だったので、2001年は「八ヶ岳ライフ」の2年目になる。
枕木を使ったスロープや駐車場作り、メインウッドデッキ拡張工事に取り組み始めたのがこの頃で、「八ヶ岳DIY道」を歩み始めた記念すべき年であった。
懐かしくて思わずフォルダを開いた。
デジカメで撮影した画像の粗さに、まずはビックリ。
デジカメのこの20年間の進化の凄まじさを再認識した。
思い出深い写真が次から次へと現れた。
その中には「植樹記念」の記録もしっかり日付入りで残されていた。
我が家の「春の主役(お姫様)」の「異形のソメイヨシノ」と「庭の優等生(学級委員長)」である「ヤマボウシ」を植えた時の写真があった。
両方共2001年の秋に植えたと思っていたのだが、植樹の日付は「2001年6月10日」だった。
ああっ、このお嬢さん達は今年の春に「二十歳」になっていたんだ…
次回、オフィスに出社した際に遅ればせながらお祝いの「施肥」をしてあげよう!
Jマートの富士見店(当時)で購入した時の苗木の大きさは、ソメイヨシノは30cm程、ヤマボウシは50cm前後だったと記憶している。
ソメイヨシノは「鹿の食害」、ヤマボウシは「オフィス建築に伴う移植」という危機を経験したが、見事に復活。
現在の樹高はソメイヨシノは8m程度、ヤマボウシは4m位に育っている。
何よりも嬉しいのは、両方、毎年開花期には見事な花を咲かせて、私と社主さまを楽しませてくれる事だ。
この「自分で植樹した庭木達と歩んだ20年間」の大いなる喜びを噛み締めた。
9月になると自分で調達した「枕木350本」を使った工事の記録写真が延々と続いた。
その内の1枚は枕木テラスの最後のブロックに枕木を置く前のものだった。
この「枕木空白のスペース」こそが、その後「焚き火台」を支え続けてくれた最も重要(大切)な場所であった。
ある意味、私の「八ヶ岳焚き火ライフ」が始まる直前の貴重な写真である。
枕木との歩みも20年か… お互い随分と齢を重ねたものだね。
「八ヶ岳の戦友」とも言い得る枕木くん達にねぎらいの言葉を掛けたくなった。
コナラと唐松にハンモックを掛けた写真も数枚あった。
おっと、これは今となっては大切な写真だな。
実はこのスペースは、現在の「八ヶ岳オフィス」が建っている場所なのだ。
当時は、松やコナラが自生した「ただの傾斜地」であった。
だが、私はこの土地が2棟目のログハウスを建てるのにはピッタリの場所だと考えていた。
結局、2013年のオフィスセルフビルドの前に「コナラの木」を1本だけ残してすべての木を伐採した。
勿論、それまで風雨等から守ってくれた事に感謝し、お清めをした上での伐採であった事は言うまでもない。
業者さんのアドバイスもあり、伐採を免れたコナラは、現在では幹回りが2.3mを超えている。
「長く生きた木は敬って大切に守らねばならない」— そんな「教え」を諏訪人から学んだのである。
水捌けが極めて良好な我が家の敷地内において、このコナラが鎮座する北側は排水設備も集中する「唯一の弱点」とも言えるスペースだ。
だが、どんなに大雨が降っても驚く程に水捌けは良くて、土がフカフカしている(グチャグチャした事がない)。
コナラの伐採をやめるように進言してくれた業者さんは「木の持つ保水力」の大切さも語っていたな…
あの業者さんの適切なアドバイスには感謝するしかない。
コナラから15m程離れた場所では「ペアのブナの木」も順調に育っている。
「ブナの保水力」の高さは優秀(かつ有名)である。
「地球温暖化」が加速度的に進む中、八ヶ岳界隈の降雨量はこれからも増え続けると私は予想している。
自生する保水力に優れた木々は、八ヶ岳ライフを快適なものとする上で「欠く事の出来ない大切なパートナー」なのである。
自分で植樹した木々、我が家で第2の人生を送る枕木達、そして自生している「八ヶ岳の自然」に適した様々な樹木。
その生い立ちや姿形は異なるものの、すべては「木」に繋がるのだ!
これまでの「八ヶ岳ライフ」が「木」と共に歩み、守られたものであり、そして様々な恵みをもたらしてくれた事を改めて実感した。
「木」がどう思っているかは知る由もないが、私的には「心地良い関係」が築けていると信じている。
人は「木に対する畏敬の念」を決して忘れてはならない。
この「思い」を忘れた事が無いのが、我が八ヶ岳ライフに「些細な自慢」なのである。