私は、XX記念(日)とか、それにかかわる催し(セレモニー)については、子供の頃から見事に「無頓着」である。
同窓会やら歓送迎会、XXを祝う会の類などは「ほぼ自動的に欠席」を若い頃から続けて来たので、最近は「案内」すら来なくなった。
今にして思えば、何十年も前から「With COVID-19時代」の到来を予見していたのかもしれない。
そんな私が、唯一、気にしていたのが「還暦」である。
当『八ヶ岳稿房』でも「還暦」という言葉を何回も用いた記憶がある。
「赤いちゃんちゃんこ」が着てみたいなどという欲求は欠片も無いが、何となく「満60歳」まで生き残ったご褒美に、神様が「特殊能力」を授けてくれるような気がした。
例えば「自分の余命があと何日か視界の片隅に常に表示される」とか、「これまで見えなかったモノが見えるようになったら素敵だろうな!」なんて、勝手に憶測。
還暦を迎えた人は、きっとそんな能力を授かって、それを誰かに話したら能力が失われてしまう。だから決して口外しないんだろう。
そんな「仮説」を立てて、ちょっと(かなりかな?)楽しみにしていたのである。
WOWOWドラマ「ペンションメッツァ」を視聴してから、八ヶ岳界隈で「青い服を着た森の住人」の気配を何となく感じるようになったのも(見えるわけではない)、還暦目前に「特殊能力」の発現が始まったように思えた。
そんな私が、今週のと或る日に遂に「還暦」を迎えたのだ。
満60歳となった朝、目が覚めてすぐに財産区林へ向かい「森の住人」に挨拶に行った。
そこには、いつもと何ら変わらない光景が、ただ広がっていた
「森の住人」も見えないし、視界の中に「余命カウンター」も表示されなかった。
満60歳を迎えた日を1日無事過ごしてから初めて能力が授けられるのかなと思い、「初夢」のように楽しみにしながら「誕生日」の翌日の朝を迎えたのだが、やはり何の変化もなかった。
チッ、何が還暦だよ。何も面白いこと無かったじゃないか…
勝手に期待した自分が悪いのだが、正直、かなり落胆した。
これまで生きてきた人生は、21,915日。
所詮どんな日も、21,915分の1に過ぎないのだという、私本来の考え方に立ち返ることにした。
まあ、しかし「人生80年」と考えれば、既に4分の3、「90年」と考えても3分の2まで生きたことになる。
「節目」と考えれば、60歳(還暦)にも、それなりに意味はあるのかもしれないな…
残念ながら楽しみにしていた「特殊能力」は授からなかったが、社主さま(家内)とは、誕生日前日に「戒厳令下の還暦ランチ」を楽しんだ。
彼女からは、プレゼントでオンライン講演用に、SONYから発売されたばかりの「ワイヤレスネックバンドスピーカー」もプレゼントされた。
これは、オンライン講演を沢山こなしなさいという無言の社命だろうか?
心優しい三男夫婦は「還暦おめでとう」と記したケーキでお祝いしてくれた。
リクエストしたわけではないが、ちゃんと私の好きな「マロン系」のケーキだった。
一方、大手銀行に勤務する長男と次男からは「還暦おめでとう」とLineでメッセージが届いたのみ。
折々の対応を、私は計数化して事細かに記録してあり、そのスコアに応じて「相続財産の分与」を公平に行おうと考えている。
そういう「人の心」が読めないから「銀行員」は駄目なんだろうな…
元々、人生なんて「3つの要諦」さえ、しっかりと押さえておけば十分だと考えている。
1番目が「健康」、2番目が「夫婦仲が良い事(円満)」、3番目が「仕事が好きで楽しい事」だ。プラスアルファで「何事も欲をかかない」かな?
この「3つ」から外れなければ、あとは「好きな事、楽しい事だけして生きて行く」だけだ!
幸いな事に「還暦」なんてのを迎えてしまったが「知的好奇心」にまったく衰えはない。
「八ヶ岳ライフ」を中心に、やりたい事や勉強したい事は、まだまだ山のようにあるのだ。