昨日は、真夏とは思えない程の穏やかな1日だった。
日中の最高気温は22.9℃。
終日、薄日であった上に、常に高原のそよ風が敷地内の「風の通り道」を流れていた。
「優しい日」という表現がピッタリだったな…
軽い昼食を済ませた後、U-NEXTで映画「アラビアのロレンス」を久し振りに観た。
やはり、外国映画の中では、この映画が一番好きだ。
ただし、約3時間45分の長~い作品なので、観終えた時には午後4時前になっていた。
夕方は軽いDIY作業をする予定だったのだが、メインウッドデッキに置いたガーデンベッドが「タブレットで雑誌でも読んだら気持ちいいよ!」と私を誘った。
確かに陽射しは柔らかく、吹く風は夕方になって一段と涼しげだった。
雑誌を読むなら「Galaxy Tab S7+」が最適である。
ベッドに寝転がって、長年の愛読雑誌「ムー」を読んでいたら、いつの間にか眠ってしまったようだった。
目覚めたのは5時20分過ぎだった。「昼寝」じゃなくて「夕寝」をガッツリしてしまったな…
さあ、今回の八ヶ岳滞在期間で最初の「焚き火」を楽しもう!
一昨日の夕方は、焚き火の準備を始めたタイミングで雨が降り始めて断念したのだ。
枕木テラスの上に落ちた山栗の花穂を掃き集めた。
放っておけばただの「ゴミ(邪魔物)」だが、掃き集めて焚き火台に放り込めば、勢いよく燃える「宝物(山栗からの贈り物)」である。
ゴミと宝物の「境界線」はどこにあるのだろうか?
よくよく考えれば「お手製の焚き火台」の「鉄ちん(スチールホイール)」も廃棄処分となるものをタダで貰ってきて、私が「再生」したものだ。
だが、今や我が家にとって焚き火台とBBQ台の「鉄ちんペア」は、無くてはならない存在である。
そうか「枕木」だって、本来の役目を終えた後は、かつては二束三文で売られていたんだよな。
私が2000年に購入した枕木で、最も安い物は1本600円程度だった。現在では「入手困難」で1本1万円以上するので、隔世の感がある。
う~ん、ますます「境界線」がわからなくなってきたぞ…
私がそんな事を考えている脇で、山栗の花穂は凄い勢いで燃えていって、やがて掃き集めた山はなくなった。
午後7時過ぎから、育てた焚き火をボンヤリと眺めながら「境界線問題」について再び考えた。
焚き火には「癒し」以外の効果も多々あるように思う。
新しい講演資料の作成中などは、焚き火を見ていると雑多に並んでいた分析結果の内、無駄なモノがスッと消えて、美しいひとつの流れにまとまる事がよくある。
一方で、まったく新しいアイデアが閃く事も少なくない。
個人的には、焚き火の「浄化作用」や「気付き効果」と呼んでいる。
昨日の境界戦問題については、焚き火を見ていたら、ふと「もう」と「まだ」という言葉が頭に浮かんだ。
「もう役目が終わったと思い込んだらゴミで終わり」で「まだ使い道があると信じたら宝物への道が開ける」のだろう。
要は「心の持ち様」ひとつで、ゴミが宝物になる可能性が芽生えるのだ。
まあこれは「人生(人)」についても同じだろう…
そして、焚き火は「白い灰」になって終わる。
「焚き火の美学」だな…
「焚き火」から学ぶ事は実に多い。
by『八ヶ岳稿房主』