「焚き火」に学ぶ — ゴミと宝物の「境界線」

昨日は、真夏とは思えない程の穏やかな1日だった。

日中の最高気温は22.9℃。

終日、薄日であった上に、常に高原のそよ風が敷地内の「風の通り道」を流れていた。

「優しい日」という表現がピッタリだったな…

軽い昼食を済ませた後、U-NEXTで映画「アラビアのロレンス」を久し振りに観た。

やはり、外国映画の中では、この映画が一番好きだ。

ただし、約3時間45分の長~い作品なので、観終えた時には午後4時前になっていた。

夕方は軽いDIY作業をする予定だったのだが、メインウッドデッキに置いたガーデンベッドが「タブレットで雑誌でも読んだら気持ちいいよ!」と私を誘った。

夕方になるとメインウッドデッキ上の「風の通り道」を流れる風が一段と涼しげになった。優しい1日だな…
メインウッドデッキのガーデンベッドが私を誘った。雑誌を読む際には「Galaxy Tab S7+」がパートナーである。

確かに陽射しは柔らかく、吹く風は夕方になって一段と涼しげだった。

雑誌を読むなら「Galaxy Tab S7+」が最適である。

ベッドに寝転がって、長年の愛読雑誌「ムー」を読んでいたら、いつの間にか眠ってしまったようだった。

「ムー」は長年の愛読誌。今年の7月に「創刊から500号」を達成。マニアックな月刊誌としては異例の息の長さである。
Tab S7+で雑誌を読みながら、時々、空を見上げた。気が付いたらいつの間にか眠ってしまっていた。

目覚めたのは5時20分過ぎだった。「昼寝」じゃなくて「夕寝」をガッツリしてしまったな…

さあ、今回の八ヶ岳滞在期間で最初の「焚き火」を楽しもう!

一昨日の夕方は、焚き火の準備を始めたタイミングで雨が降り始めて断念したのだ。

枕木テラスの上に落ちた山栗の花穂を掃き集めた。

オフィスウッドデッキの上に山栗の実が1個落ちていた。花穂のシーズンが終わった事を教えてくれるシグナルだ。
枕木テラスの上に落ちた山栗の花穂を掻き集めたら小さな山が出来た。今年の山栗花穂の焚き火はこれが最後だろう…

放っておけばただの「ゴミ(邪魔物)」だが、掃き集めて焚き火台に放り込めば、勢いよく燃える「宝物(山栗からの贈り物)」である。

山栗の花穂は油分がたっぷりなので、多少湿っていてもどんどん燃えるのだ。焚き火の部材としては最高。山栗からの贈り物である。

ゴミと宝物の「境界線」はどこにあるのだろうか?

よくよく考えれば「お手製の焚き火台」の「鉄ちん(スチールホイール)」も廃棄処分となるものをタダで貰ってきて、私が「再生」したものだ。

だが、今や我が家にとって焚き火台とBBQ台の「鉄ちんペア」は、無くてはならない存在である。

そうか「枕木」だって、本来の役目を終えた後は、かつては二束三文で売られていたんだよな。

私が2000年に購入した枕木で、最も安い物は1本600円程度だった。現在では「入手困難」で1本1万円以上するので、隔世の感がある。

よくよく考えれば「鉄ちん」も「枕木」も本来の役目を終えた「廃棄物」扱いだったのだ… それが我が家では「大活躍」している。

う~ん、ますます「境界線」がわからなくなってきたぞ…

私がそんな事を考えている脇で、山栗の花穂は凄い勢いで燃えていって、やがて掃き集めた山はなくなった。

午後7時過ぎから、育てた焚き火をボンヤリと眺めながら「境界線問題」について再び考えた。

午後7時過ぎから無事に育った「焚き火」を1時間程楽しんだ。

焚き火には「癒し」以外の効果も多々あるように思う。

新しい講演資料の作成中などは、焚き火を見ていると雑多に並んでいた分析結果の内、無駄なモノがスッと消えて、美しいひとつの流れにまとまる事がよくある。

一方で、まったく新しいアイデアが閃く事も少なくない。

個人的には、焚き火の「浄化作用」「気付き効果」と呼んでいる。

昨日の境界戦問題については、焚き火を見ていたら、ふと「もう」と「まだ」という言葉が頭に浮かんだ。

「もう役目が終わったと思い込んだらゴミで終わり」で「まだ使い道があると信じたら宝物への道が開ける」のだろう。

要は「心の持ち様」ひとつで、ゴミが宝物になる可能性が芽生えるのだ。

まあこれは「人生(人)」についても同じだろう…

そして、焚き火は「白い灰」になって終わる。

そして焚き火の最後は「白い灰」で終わる。「焚き火の美学」である。

「焚き火の美学」だな…

「焚き火」から学ぶ事は実に多い。

 

by『八ヶ岳稿房主』