今日の午前中が〆切りだったレポートのドラフトの提出を終えた後、オフィスのデスクの上で軽い昼食を済ませた。
深呼吸をしながら窓越しに庭を見下ろすと、雨が降っている事に気が付いた。
今回の八ヶ岳滞在中、初めての雨である。
う~ん、ちょっと面倒な事になったな…
この時期の雨は、我が八ヶ岳ライフにおいては「特別な意味」を持つのである。
子供の頃から「無駄」とか「非効率」が大嫌いな性格だった。
年齢を重ねれば、そんな性格も少しは和らぐかと思っていたのだが、逆だった。
ここ数年で「行列待ち」とか「渋滞」とか「時間の浪費」としか思えない状況に陥ると、思わず暴動を煽りたくなる衝動を覚えるようになった。
もっとも、煽るだけで、決して自分は暴動に参加しない(手を汚さない)という基本姿勢に関しては変わりはない。
「だらしない」というのも大嫌いだが、では「無駄」と「だらしない」のどちらが嫌いかというと「無駄」が勝る。
何でこんなわけのわからない事を書いているかというと、例年11月下旬が「無駄」と「だらしなさ」に対する嫌悪感が綱引きを開始する時期だからだ。
この時期、舞い落ちた広葉樹や唐松の葉が、敷地内を埋め尽くす。
庭の上に積もった分はまだ許せるが、枕木テラスやウッドデッキに積もった物は、だらしなくて不快極まりない。
掃いたり、ブロアで吹き飛ばせばよいのだが、広葉樹等の葉が落ち切る前であれば、すぐにまた新しい葉が積もる。
そんな「不毛な作業」は「無駄」以外の何物でもないので、不快感を堪えて我慢するのだ。
そう「無駄」に対する嫌悪感が、「だらしない」の嫌悪感に勝つのである。
社主さまは、そんな不毛な作業を平気でする。
私が「葉が落ち切るまでは意味が無いからやめなよ!」と言うと、「だって、みっともないでしょ!」という言葉が強い口調で返ってくる。
「個人の価値観の違い」を感じる瞬間だ。
最悪のパターンは、落葉が終わる時期を読み間違えて、ブロア作業を終えない内に、雪が積もったり、雨が降って葉がそのまま凍り付いてしまうパターンである。
そうなると、エンジンブロアを使っても、落ち葉を集めたり、吹き飛ばす事が簡単には出来なくなる。
八ヶ岳で迎える冬は今年で22回目だが、過去に2~3回失敗して、落ち葉が十分に処理できないままに冬を越した事がある。
春になって雪が解けて、未処理の落ち葉が、敷地内にそのまま現れるのを見た時の気分は「最悪」である。
正に「だらしなさ」の極致なのだ。
今年は、『八ヶ岳稿房』で繰り返し書いてきたように、これまでは「異例の暖冬」である。
昨日の午後、落葉状況を確認するために敷地内をノンビリと散策した。
唐松の葉は、まだ落ち切らないでタップリと残っているし、それ以外にも、まだ落葉五~六合目といった感じの広葉樹も数本あった。
例年、敷地内の広葉樹の中で、落葉時期の最も遅い「花梨」の落葉完了が「ブロア作業」開始のシグナルとなる。
だが、昨日の段階では、まだほとんど葉が残っていたのである。
そんなわけで、ブロア作業は「時期尚早」と判断した。
そんな中での「今日の雨」なのだ。
そう言えば、昨年も暖冬だったが、11月28日にいきなり「初雪」が降って、大慌てした事を思い出した。
幸い、その後は再び暖冬に戻って、ブロア作業は12月中旬に社主さまによって無事に完了した。
まあ、今年も大丈夫だろうと思うのだが、そんな油断が裏目に出る事もあるのが「八ヶ岳の自然」の気難しさなのである。
午後3時前に、庭の状況が気になったので、雨の中、ウッドデッキから様子を眺めた。
雨だけではなく、風も強くなってきたようで、財産区林の唐松が揺れていた。
これで、唐松の落葉は一気に早まったな。
メインウッドデッキの上には、昨日まではほとんど無かった唐松の落葉が、雨で貼り付いて一面を覆っていた。
あ~、一番嫌いな光景だな。
あれっ、昨日まではほとんど残っていた花梨の葉が、半分位に減っているぞ!
これでブロア作業のタイミング決定が、一段と難しくなってしまった。
庭に積もった広葉樹は、雨に打たれてまるで「薄汚い茶色のカーペット」のようだ。
お願いだから、このまま凍るのだけは勘弁して欲しい。
ちっ、雨量計のデータがおかしいと思ったら、落葉した葉が雨受け部分に貼り付いているじゃないか!
この時期の雨は「憂鬱」だな…