今回は社主さまを伴わない「単独出社」なので、トコトン人に接しない生活スタイルを我が儘に貫く事が出来る。
私にとっては最高の環境だな…
昨日は午後5時半過ぎに、積み残しとなっていたブルーベリーさん達へのネット掛けを作業を再開。
6時20分には「新ネット掛けシステム」が完成した。
その直後に、私をまるで祝福するかのように、美しい夕陽の光が敷地内を照らしてくれた。
何も写真を加工していないのだが、十字架と同心円の組み合わせのような不思議な光だった(見た目もこんな感じだった)。
やっぱり「山の生活」にとって「西日は宝物」である!
今から23年前、八ヶ岳本宅購入の候補地を探していた頃に、実に様々な「八ヶ岳ライフ本」を購入して読み込んだ。
結局、荒川じんぺいさんの「森の三部作」と柳生博 師の「森と暮らす、森に学ぶ」及び「八ヶ岳倶楽部II それからの森」の5冊が「ダントツの良著」だった。
あとは、もう印象にも残っていない本がほとんどだ。
不思議なのだが、荒川さんの著書を筆頭に、かなりの数の「八ヶ岳本」が「西日の大切さ」について触れていた事は覚えている。
八ヶ岳に「第二の拠点」を設けようと決める切っ掛けとなった「荒川さんの著書」にそう書いてあるのだから、兎に角、信じる事にした。
土地の候補探しの際に、コンパスを片手に、西の方向が開けていて(将来も含めて)障害物がないかどうかを重要な条件としてチェックした事を鮮明に記憶している。
そして、本宅購入後に迎えた最初の冬に、本に書かれていた事が正しかったのを実感した。
西日のおかげで「1日が長い」のである。
私だけでなく、社主さまもまったく同じ事を言うのだが「八ヶ岳で過ごす1日は本当に長い」と感じる。
これにはふたつの意味がある。
ひとつは「やりたい事、やらねばならない事が山のようにあり、かつ、それらのほとんどが楽しい」からだ。
もうひとつの意味は「明るい(陽の射す)時間」が実際に長いのだ。
これは標高と西日を重視した土地選び(ロケーション)の効果が大きいのだと思う。
新百合ヶ丘の自宅から、ライブカメラで八ヶ岳の様子をチェックすると、その明るさに驚く事が多い。
自宅周辺がもうかなり暗くなっているような時間帯でも、八ヶ岳の敷地内はまだ明るいのである。
ちなみに、昨日の富士見町の日の入り時刻は、ほぼ午後7時(正確には6時58分かな?)。
私が焚き火の準備を始めたのは午後7時10分頃だったのだが、ちょっと薄暗くなったかなという程度だった。
そして、「長~い八ヶ岳の1日」を楽しんだ後の締め括りとして、枕木テラスでの「焚き火」へと移行。
「焚き火」を育て、そして「愛でる」事は、八ヶ岳だからこその楽しみである。
自宅でそんな事をしようものなら消防車が来て大騒ぎになるだろう。
昨日は焚き火用の部材が見事に乾燥していたので、育てる時間は20分も要しなかった。
7時30分過ぎには、投じたすべての部材が勢いよく燃え始めた。火勢のピーク局面である。
この時間帯は鉢巻道路を走行する車も減って、野鳥の囀りもほとんど聞こえなくなる。
八ヶ岳の敷地内に「静寂」が忍び寄るまさにその時、「焚き火」を味わう上での「最初の好機」が到来したのだ。
この局面では、BGM等、余計なものはまったく不要。
ただひたすら揺らめくオレンジ色の炎を見つめるだけだ。
「対峙する」という表現の法が相応しいかもしれないな…
1日の生活で溜まった苛々感(例えば鉢巻道路を暴走する車への怒り)とか面倒なものをすべて浄化してくれる「祓いの炎」だと私は考えている。
力強い「祓いの炎」の状態は15分程続き、次の醍醐味は、さらに約40分後に訪れた。
焚き火は「熾火(おきび)」となっており、もう揺らめく炎はない。
「癒しの熾火」の時間である。
この時間帯は、静かなBGMが本当によく似合う。
普通の人ならアルコールがお供となるのだろうが、私は1滴も嗜まない。
加えて、トリグラフ流ダイエット中なので、ZERO pepsi を飲みながら、ただボンヤリと焚き火を見つめた。
それだけで十分なのだ。
いつものように5分もすると目がじんわりと温かくなって、悲しくもないのに涙が出てきた。
この瞬間が何とも言えずに心地良い。
7時10分過ぎに着火してから3時間もすると、焚き火は最終局面を迎える。
ここで改めて残った部材を丁寧に掻き回す。
この作業がしっかり出来ていると、最後はすべて「美しい灰」になる。
そして、異形のソメイヨシノの根元に撒かれる事になる。
いつも感じるのだが、まるで3時間で「人間の一生」を見ているかのようだ。
あと2ヵ月程で「還暦」を迎える私は、焚き火になぞらえると、どの局面だろうか?
「熾火の半ばから終盤に移る頃かな?」なんて考えてしまう。
だとしたら、もうあくせくせずに、好きな事、楽しい事だけして生きて行ってもよい頃合いだろう。
仕事もとっても面白いので、まあ、実際にそうしているのだが…
1日の終わりに、こんな素敵な時間を与えてくれる焚き火は「贈り物」である。
そう「森からの贈り物」なのだ!