3.11ルーティン—「太陽の蓋」と「Fukushima 50」を通しで視聴

今日、2021年3月11日で東日本大震災から10年を迎えた。改めてこの震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。また、現在も被災地復興のために尽力されている関係者の皆様に心より敬意を表します。

ここ数年、3月11日が近付いてくると同じような事を繰り返している。もうルーティン化(3.11ルーティン)したと言えるかもしれない。

ひとつは、寺田寅彦先生の随筆集「天災と日本人」をKindle版で読むことだ。

日本という国で生きる以上は「大地震」という自然災害(天災)を避けることは出来ない。

だが、天災が引き起こす『震災』を大きくしているのは「自然をコントロールできると思い込む人間の過信」であると言うのが、私が同著から受けるメインメッセージだ。

読み返す度に、これらの随筆が第二次大戦前の昭和初期に書かれたものであることに驚く。同時に、随筆やエッセーの書き方を学ぶ上でも「良書」だと思う。

もうひとつのルーティンは「原発」に関連した映画やNHKのスペシャル番組を視聴することだ。

映画については「東京原発」と「チャイナシンドローム」をこれまで交互に観てきた。

だが、今年は東日本大震災から10年目という節目の年のためか、WOWOWが「太陽の蓋」と「Fukushima 50」を立て続けに放送してくれたので、録画しておいて昨晩、通しで観た。

「太陽の蓋」とは言い得て妙な原発の比喩表現だなと最初は思ったのだが、もしかすると違った意味も込められているのかもしれない…
「揺れた」と過去形になっているが、少なくとも「原発事故」については現在進行中だと思う。
イチFの描き方も2つの映画ではかなり異なるな。最も、政府関係者の描き方はさらに大きく異なるが…

同じ福島第1原発事故を扱った邦画なのだが、事故の真相に関して受ける印象が異なる。

原作の『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』は映画化よりもかなり前に読んだが、読み応えがある本だった。
SBOネタは、『八ヶ岳稿房』で扱ったことがあるよな…
「奇跡」を前提としたリスク管理は、もう宗教の領域だ…

例えば、菅直人元首相(太陽の蓋では実名、Fukushima 50では実名には触れない)の人物像の描き方ひとつをとってものかなり違いがある。「Fukushima 50」では「エキセントリックな人」という印象しか残らないのだ(さすがに極端すぎる描写だと感じる)。

これら映画に先だって、NHKスペシャルの「原発メルトダウン 危機の88時間」「メルトダウン 連鎖の真相」、ETV特集「原発事故”最悪のシナリオ” ~そのとき誰が命を懸けるのか~」という3本のTV番組を観た。

これらから浮かび上がる福島第1原発事故の真相(深層)もまた微妙に異なるのだ。結局、「真実」なんてものは人間の数だけ存在するのだろう…

もっとも「人類の驕りが引き起こした人災だな!」という結論については見事に一致するので、映画もNHKスペシャルも視聴する価値は十分にある。

そして、毎年「3.11ルーティン」を終えると、自然に対して畏怖・畏敬の念を持つ事の大切さを実感する。

思議なのだが、ルーティンの場が新百合ヶ丘自宅である時よりも、八ヶ岳の時の方がそんな思いが増幅されような気がする。

これこそが「八ヶ岳」という地が持つ「特別な力」なのかもしれない…

 

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