まずは、今回の福島県沖地震の被害が軽微なことを心からお祈り申し上げます。
ちょうど7年前となる2014年2月14日は、八ヶ岳界隈で1mを超える積雪となった「平成26年豪雪」の初日だった。
当時、私は(幸い)青森に出張中。約2週間後に八ヶ岳を訪れたのだが、まだ積雪量は60cm以上あったのに驚いた。
そして、前年の12月30日に完工したばかりのセルフビルドのオフィスが、何のトラブルもなくホッとしたのをまるで昨日の事のように記憶している。
以来、私にとって「2月14日」という日は、バレンタインデイではなく「あの大雪の不吉な日」としてメモリーされたのである。
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昨晩も「明日は妙なことが起きなければ良いのだが…」なんて考えていたら、午後8時前にオフィスが揺れた。
八ヶ岳で大きな地震の「揺れ」を経験した事は過去22年でほとんど無かったので、最初は地震とは思わなかった(緊急地震誤報に慌てたことは2回あったが…)。
「揺れ」と言うよりも、地面の下から妙な回転力のようなものが働いて、その後、それが逆回転したような、かつて経験した事の無い無気味な動きだった。
やがて、TVのニュース速報で、山梨県中西部を震源とする地震であった事を知った。
震度は2か3かな… 揺れの大きさよりも「揺れ方」が、兎に角、気持ち悪い地震だった。
その後、午後11時過ぎに再びオフィスが揺れた。福島県沖を震源とした昨晩の地震である。
揺れの大きさとその時間の長さは1回目の地震以上だったが、こちらは「縦揺れの後の横揺れ」で何度も経験している「普通の地震の揺れ」だった。
1回目も2回目も地震の直後に、新百合ヶ丘の自宅にいる社主さまにすぐに電話をしたが、幸い何の被害も無く、停電にもなっておらずホッとした。
その後、午前0時半頃までニュースに釘付けになった。津波の心配は無いとのことに安心したが、何故、これ程までに広域な停電が発生するのか不思議でならなかった。
今朝の起床は午前6時。明日から「講演週」なので、元々、新百合ヶ丘の自宅に昼過ぎには帰る予定だった。
起床後、20分程TVニュースをチェック。地震の直接的は被害はあまり大きくはなさそうなので安堵した。
だが、何となく「漠然とした嫌な感じ」が拭えない。それ程までに、昨晩の1回目の地震の揺れが気持ち悪かったのだと思う。
私は「人間としての器と気の小ささ」には、絶対の自信がある(要は、臆病で慎重なのだ)。
即座に「動ける内に移動した方が良さそうだな。予定を早めてすぐに自宅に帰ろう!」と決めた。
こうして『八ヶ岳撤収戦0214』がスタート。
いつもは、本宅の水抜きをして、その後はゴミステーションに立ち寄るのだが、今回は虫が知らせたのか、水抜きもゴミ出しも昨日の夕方に終えていた。
そんなわけで、あっと言う間に撤収準備は完了。
D4に乗ってエンジンボタンをプッシュ。時刻は午前6時38分、外気温はマイナス1℃。
忘れ物はないかな? おっとイケない。野鳥さん達にヒマワリの種をタップリと補充してあげなくちゃ。
前回の給餌は木曜日の昼過ぎ。もうとっくに給餌皿は空になっていると思ったのだが、2カ所共に半分位残っていた。
う~ん、これも気持ち悪いな…
結局、D4でオフィスを発ったのは午前6時44分。その後は、ひたすら帰路を急いだ。
いつもは立ち寄る「釈迦堂PA」もスルーして自宅到着が午前8時34分。外気温は9℃で八ヶ岳との気温差は10℃。
こうして運転時間1時間50分、走向距離155.1kmの「撤収戦」は無事に完了!
明日からは、東京での講演や千葉の実家での所用等々、予定がギッシリだ。
妙なことが起こらなければ良いのだが…