昨日の午前10時過ぎに、今回は正味9日間の滞在となった八ヶ岳オフィスを発ち、途中、SA等で寄り道をしながら、午後1時過ぎに新百合ヶ丘の自宅に戻った。
八ヶ岳を離れる直前に行ってきたのが冬の仕来り「水抜き作業」である。「スタッドレス・タイヤに換装した滞在の際に、時期的には早めだが、必ずその冬最初の水抜きも行う」というルールを20年間厳守している。
そんな用心深い性癖のゆえ、八ヶ岳西麓1,300mの地にある本宅、オフィス共に、これまで「厳冬期の水のトラブル」を回避出来ているのであろう。
このスタッドレスと水抜きは「晩秋」を感じさせる恒例の行事である。そして、次回滞在時に行う事になる「庭木の鹿対策(銀のドレスを纏わせる)」と「ガーデンファニチャー類のオフィス地下室への収納」さらに「落葉した葉のブロワ処理」の3大行事を終えれば、八ヶ岳は「本格的な冬」を迎える事になる。
八ヶ岳ライフにおいては、このように定番作業と季節の移り変わりが見事に連携しており、それもまた楽しみのひとつとなっているのだ。これに対して、新百合ヶ丘の自宅は、残念ながら季節の変化を実感する機会が少ない。
今回の度重なる台風の襲来でも被害は皆無、東日本大震災の際も書棚に置いた箱が1個落ちただけという「安心・安全な住まい」であるのは有り難いのだが、人間よりも自然の方が好きな私としては、ちょっと味気ないと思える。
今日は、東京で2件の講演を終え、午後3過ぎに新百合ヶ丘の駅に着いた。駅から自宅のある王禅寺西地区までは徒歩で13~4分。途中、「マプレ」なる専門店街を通るのだが、珍しく高所作業車が入って、何か工事をしているのが遠目に見えた。
「やっぱり10月の台風で何かトラブルがあったのかな?」と思いながら近付いてみると、どうやらイルミネーションの取り付け作業をしているようだった。まあこれも「冬を感じるシグナル」ではあるな…
だが、やはり何かが「八ヶ岳」とは違う。この違和感の理由は何であるかを歩きながら考えた。
自宅に着くまでの10分程の時間で思い付いた事がひとつある。八ヶ岳での季節の変わり目には、新たな季節の到来にどう対応するか「自分で考えて、工夫して、そして必ず体を動かす」のだ。
そこには自然環境の変化に対して能動的に対応する自分がいる。一方、便利で快適な環境にある新百合ヶ丘の自宅では、私は季節の変化に対する「傍観者」に過ぎないのである。
「八ヶ岳ライフ」は「縄文人の生活」にちょっと近づけるのかな? そう考えると、嬉しくなった。