今年のGW中の八ヶ岳ライフは、出歩かない事を基本方針としていたのだが、5月5日は所用が出来て、朝から社主さま、長男を伴ってD4での移動となった。
所用を済ませた後の時間帯をいかに有効に過ごすか?零細企業経営者のセンスが問われる局面である。
長野県内は、社主さまと色々な場所を頻繁に訪れているので「未開拓」と呼べるエリアは、ほとんどなくなってきた。そんな中のひとつである「大鹿村(http://www.vill.ooshika.nagano.jp/)」に行こうと決めたのは、4日の夜の事だった。名優故・原田芳雄さんの遺作映画『大鹿村騒動記』の舞台となった村である。
所用を済ませた後に茅野へと向かい、国道152号をひらすら南下し「大鹿村」へ。八ヶ岳オフィスからであれば、距離にして80km、時間にして2時間弱(山道の走行が多いので距離以上に時間を要する)のロケーションだ。
途中「秋葉街道(塩の道)」の新緑と渓谷の美しさを堪能。正確に表現するならば、社主さまと長男が堪能し、私は山間ドライブウェイの運転に専念したのである。
今回のメインの目的は「大鹿村中央構造線博物館(http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/)」の探訪にあった。
最近、世界中で地震や噴火活動が活発化しており、どうも地球は「大地殻変動期」に突入したように思える。こんな時代を生きる人間として、地球の地殻構造や変動に関する知識を持つ事は「当たり前の嗜み」だろう。
日本列島を東西に2分する「フォッサマグナ」の西端をなす「糸静構造線」は、八ヶ岳ライフにおいては「身近な存在」であり、それなりの知識も有している。だが、九州東部から関東へ、西南日本を分断する大断層「中央構造線(MTL)」については、あまり詳しい事は知らなかった。
「何事も実地で学ぶ(実物を見る)」というのが私のモットーなので、いつかは訪れたいと考えていた博物館だ。
結果は「大満足」。兎に角、1F展示室での学芸員さんによる解説が素晴らしい! 展示室そのものも、入り口から奧が中央構造線の内帯(伊那山地)、手前側が外帯(赤石山脈)という具合に中央構造線で2分される凝った造りになっており、自分が日本を分断する大断層の真上にいるという不思議な感覚を体験できる。
壁側には、それぞれの山脈の岩石が並び、奥中央には「地形地質模型(ジオラマ)」がドーンと置かれていた。壁面には、地質構造や地殻変動に関する解説パネルが所狭しと貼られており、学芸員さんの熱意やマニアックさが伝わってくるという意味で「井戸尻考古館」に相通ずるものがあった。
学芸員さんの解説に魅了されて50分程滞在。NHK特集の「MEGAQUAKE」「MEGA DISASTER」「MEGA CRISIS」を熱心に視聴した成果もあり、説明の内容が違和感なくすっと頭の中に染み入ってきた。
また「諏訪湖」というのは、中央構造線と糸静構造線が地下深くでクロス(深度は異なるが)「特別な場所」である事を再認識した。【縄文土偶探訪記】を中断して8ヵ月が経過したが、やっぱり「博物館巡り」は楽しい!
中央構造線博物館見学後はD4で「大西公園」に移動。ここは、私の生まれ年である1961年(昭和36年)に発生した「三六災害」で崩落した大西山の崩落跡地に、犠牲者(42名)の慰霊と村の復興を願って築かれた公園である。
桜の名所でもあるが、残念ながら既に「葉桜」状態。三六災害30周年慰霊のために1991年に建立された「大西観世音菩薩像」が、大西山を背に公園を見下ろすように立つ光景が、とても印象的だった。
また、観世音菩薩の前から「秋葉街道」方面を見下ろす景色は正に「絶景」。このように「大鹿村の美しい自然を満喫し、地殻変動の知識を深める」という意味で、とても実り多きショート・トリップとなった。
ちなみに「大鹿村」には、中央構造線の他にも「大鹿歌舞伎」という伝統芸能と「ジビエ料理(残念ながら、我が家は全員が駄目)」という名物(看板)がある。
また「日本で最も美しい村連合(http://utsukushii-mura.jp/)」設立時からの加盟町村(2町5村)のひとつだ。
GW中であるにも係わらず、観光客はまばらで、私の大嫌いな「渋滞」「人混み」「行列」とはまったく無縁だった事も極めて好印象。
来年は「桜が満開の時期」に社主さまと再び訪れようと心に誓った。待てよ、その前に「紅葉」と「温泉(鹿塩温泉と小渋温泉)」を楽しむ企画もナイスかもしれないな…