富士見町民広場の駐車場をD4で発った私は、八ヶ岳オフィスとは反対方向にある「新立場川橋梁」を目指した。
八ヶ岳滞在中は頻繁に通る道なので、その奥の方に赤錆びた鉄橋らしきモノがある事は、ずっと前から認識はしていた。だが、興味が無いので、それが何であるかは調べなかったし、敢えて近付きもしなかったのだ。
D4で数分走ると、新立場川橋梁の巨大な橋脚のすぐ側に到着。空きスペースにD4を駐車し、旧立場川橋梁の全景を撮影。
改めて見ると「長くて高い」巨大な鉄橋である。私には気のせいか、ちょっと歪んで見えて、それが無気味でもある。HX90Vをズームアップして、ちょっと前まで私が彷徨いていた立ち入り禁止フェンスの辺りを撮影。
偶然に辿り着いたわけだが、なんとまあ「危うい雰囲気の場所」である事か…そもそも、富士見町民広場のお散歩コースから、旧立場川橋梁に行く事が出来るなんて、どこにも書いてなかったぞ。まったく予想外の展開に、我ながら呆れてしまった。
写真撮影後、D4に戻って、旧立場川橋梁に向かう道の方へ右折。これまで一度も通った事のない道だが、しっかりと舗装されており、車がすれ違える程度の幅があった。
あっという間に旧橋梁の近くに到着。道路は、富士見町民広場側に膨らんだU型の大きなカーブを描いており、旧橋梁の真下を通り過ぎた先にスペースを見つけてD4を駐車。徒歩で旧橋梁の真下を目指した。
途中、写真を数枚撮影。ズームレンズ越しに見るよりも、巨大で迫力がある。
真下から眺めると、朽ちたビルディングのようで恐い位だ。
旧橋梁を通り過ぎて、U字カーブのD4を駐車したのと反対側のスペースまで歩く。すると線路跡に向かうためのスロープらしき道があった。
舗装はされていないが、かなりの幅があり、自動車と思われる「轍」がハッキリと残されていた。この程度のスロープなら、D4は楽勝で登坂できるな。どうしようか。D4で登ってみるかと思案。だが、上にあるだろう旧線路跡の状況がわからない。安全策を選択し、徒歩でスロープを上った。
スロープの先には、線路跡があった。広々として陽当たり良好。まるでピクニックコースのようだ。そして予想はしていたが、その先にはまた「トンネル」があった。
だが、このトンネルの開口部は封鎖されていない。トンネルに向けて「水路」のようなものが伸びており、その脇には「椅子」の骨組みのような謎の構造物、さらに右手奥には壊れた小屋(祠?)のようなものが見える。
これまで見てきたトンネルとは違った「妙な吸引力」のようなものを感じて、ちょっと足がすくんだ。でも、勇気を出してトンネルに向かって歩いた。
トンネルの中はどうなっているのかな? 怖いもの見たさでさらに近付こうとしたところで、突然、HX90Vが「バッテリー切れ」になった。「トンネルからの撤収のシグナルだな」と判断。迷う事なく後を振り返って、トンネルを離れた。
当然ではあるが、振り向いた先には、旧立場川橋梁の線路跡が伸びていた。反対側の立ち入り禁止フェンスから眺めるよりも、はるかに美しい(そして迫力のある)光景が広がっていた。iPhone Xで写真撮影しようと思ったら、D4に置き忘れてきた事に気が付いた。
「すべては潮時。これ以上引っ張っても何も得る物は無しか。即撤収って事だな。」と即座に理解。登ってきたスロープとは反対側の斜面に、小さな木製のステップのような物が延々と敷設され、それがD4の駐車スペースのすぐ近くにまで続いている事に気が付いた。
「ナルホドね。これ以上は深入りせずにお帰りなさいって事か。3ステップのわかりやすいメッセージ(お告げ)だな。」—こういう状況に直面した時の私は、別人のように「素直」になる。
その後、D4で八ヶ岳オフィスに到着したのは10時32分。予定を2分超過したが、これにて「探検は無事に完了」。
————-【エピローグ】
オフィスに戻ってから、Google マップの航空写真で今日の探検ルートを確認。結局、4カ所発見したトンネルの入り口に黄色い印の番号を付してみた。
さらに、トンネルの名前を調べた結果、最初に発見した富士見町民広場の駐車場に近いトンネル(地図の①)は、「48番トンネル(乙事トンネル)」、そして、総合運動場のネット裏のコンクリートで塞がれた口と(地図②)と旧立場川橋梁へと続く鉄製の格子で塞がれた(地図③)口を繋ぐのが、「49番トンネル(姥沢トンネル)」である事が判明した。最後に辿り着いた封鎖されていないトンネル(地図④)は「50番トンネル(瀬沢トンネル)」であった。
わずか1時間半程度の「小探検」であったが、旧中央本線の3つの「廃トンネル」と「旧立場川橋梁」という巨大廃鉄橋にまったく予期せぬ展開で遭遇。八ヶ岳に第2の拠点を設けて18年目だが、まさか、富士見町にこんな「不思議スポット」があるなんて想像だにしなかった。
私にとっては「八ヶ岳ワールド」の深遠さを再認識させてくれる「貴重な体験」となった。