「記録はサイエンスの父、記憶はアートの母」— これは名言・格言の類ではなく、調査・分析を35年に亘って生業としてきた私が、常日頃、実感している事である。
人間の記憶というのは、曖昧で危うい。
何らかのバイアスが掛かって脳内で作り上げられた「芸術作品」のようなものだ。
これに対して、定量的データや画像情報等としてストックされた客観的な記録は「事実」として分析作業の基礎となる。
この「記憶」と「記録」に大きな乖離がある場合、講演資料等を作成する際に「美味しいネタ」となる事が多々ある。
そのために、いつ、どんな局面で使うかもわからない大量のデータを粛々と記録し続けるのが、所謂「アナリスト業務」の基本動作なのである。
例えば「1981年3月末の太陽神戸銀行(覚えている人、少ないだろうな)の譲渡性預金残高」なんて、おそらくは今後も分析に使う事が絶対になさそうなデータだと思う。
だが、そんなデータでも必要とあらばすぐに利用できるような状況を常に構築出来ていなければ、いざという時に役に立たないのが、我が社のビジネスなのだ。
もっとも10年程前から、データ収集とその整理の大半は、PCとソフトウェア任せで済むようになった。
最近はAIを活用した情報の整理(仕訳)もそれなりに使えるようになってきたと感じている。
「記録」という作業から解放されるようになってきたので「記憶」の重要性がさらに高まりつつある。
勿論、本当に大切なのは「記憶」と「記録」の突き合わせ作業をしっかりとする事だ。
この作業によって何らかの知見を得ることが出来なければ「記録」はただのゴミと化してしまう。
ビジネスでは、突き合わせ作業までの一連の流れが「癖」のように身に付いている。
これこそが「日常業務」なのだ…
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偉そうに書いたが、それはあくまでも「仕事」の話である。
プライベートとなると「記憶優先、記録放置状態」となっていることが圧倒的に多いのだ。
最近の『八ヶ岳稿房』では、「今日も八ヶ岳西麓 富士見高原は、朝から快晴。しかも暖かい。八ヶ岳の3月としては異例である。」ってな感じのことを、毎日のように(当たり前の如く)綴っている。
実際、今日も事実として「快晴」であるし、午後1時半の外気温は18.3℃まで上昇している。
オフィスの窓から見えるのは八ヶ岳ブルーの空。
あまりにも暖かいので「お庭の縁台」に寝転がってみたのだが、ポカポカ陽気で思わず昼寝したくなった。
でもこんな状態って本当に「3月初旬としては異例」なのかな?
地球温暖化が進んでいるので、実はこの数年は、同じような陽気だったのではないだろうか??
急に気になったので、スマホで撮影したと同時にクラウド保存されている写真を「3月の雪」で検索してみた。
うわ~、大量にヒットしたぞ!
あまりにも写真の枚数が多かったので、地球温暖化が加速度的に進んだ「2018年~2022年(過去5年)」の検索結果の中から、各年1枚だけランダムに選んで、『八ヶ岳稿房』で紹介する事にした。↓
「私の記憶」と「写真記録」の突き合わせ作業の結果、「今年の3月初旬の雪の無さと、おそらくはその主因である暖かさは、やはり異例」である事が浮かび上がった。
一方で「八ヶ岳の冬は、まだまだ油断大敵」であるという教訓も得る事が出来た。
うん、「記録」ってやっぱり大切だな!