「猿」だけはどうしてもダメなんだ…

人間誰しも「生理的に許容出来ないモノ」がいくつかあるだろう。

食物、動植物、或いは、人間等々、人によってその対象は区々であろうが、私もそれなりにある。

八ヶ岳ライフを送るようになってから、動物や昆虫を中心に許容範囲が間違いなく広がったように思うのだが、それでも、やっぱり嫌いなモノは嫌いだ。

上手く言えないが、そういうモノを見ていると何となく背筋の辺りがゾクゾクしてくるのだ。

運悪くそんな対象に、昨日、遭遇してしまった。それも「集団」だった。

何かって?「猿」である。

私にとって「猿」は動物の中でも、突出して生理的な拒絶反応を示してしまう存在だ。

そう「猿」だけは、どうしてもダメなのだ!

時刻は昨日の午前11時半過ぎ。場所は、富士見町民広場脇の道路。

私用で茅野に行くために、オフィスからひたすら八ヶ岳山麓を下って国道20号に向かう途中で、中央道の上を通過した直後だった。

標高はおそらく1,000m弱だろう。猿の群れの頭数は20頭位だったかな?

ちょど、私がミニパジェで通りかかった時に、町民広場の方に移動中だった。

私の目の前を通り過ぎたのが10頭程で、町民広場方面の林の中を見ると同じ位の頭数がいた。

その内、何頭かは手に黄色い棒のような物を握っていた。

なんだろう?

生憎、ミニパジェを駐車できるようなスペースはなかった。

40~50m走行して道路脇に駐車して、遠くからうるちゃんのデジタルズームで猿の集団の様子を窺った。

ちぇっ、さすがに50m位離れているんで、うるちゃんでも上手く撮影できないな…

猿の集団の移動はノンビリとしていた。まるで自分達の敷地内であるかのようだった。
こういう姿が一番苦手だな。背筋がゾクゾクしてきたぞ。
猿だけは親子連れを見ても可愛いとはまったく感じないんだよな…
猿のお尻ってのは本当に赤いのだな…(写真左上)。この写真から干してあったトウモロコシである事が何となくわかる(写真中央)。

ズーム越しでも、猿を見たら背筋がゾクゾクしてきた。

本当に憎々しい生き物だな。

鹿軍団と違って、可愛いなんてまったく感じない。

手に持っていた黄色い棒はよくみると「トウモロコシ」だった。

こんな時期に実がなっているはずはないので、農家の方が軒先に乾していたのを略奪してきたんだな。

猿の「窃盗団」じゃないか!やっぱりこいつらは「敵」だな。

2~3分観察してから、茅野に向かった。

オフィスに戻ったのは午後1時前。

大嫌いな猿の生息域は拡大中なんだろうか?

町民広場周辺で猿の集団を目撃したのは初めてだったが、3年程前に旧立場川橋梁の線路跡で罠に掛かった子猿がいた事を思い出した。

直線距離的には今日の目撃場所から400~500m程度である。

旧立場川橋梁に設置されていた罠に掛かった子猿。確認したら2020年1月の写真だった。
この目もどうしても好きになれない。

同じ群れのテリトリーなのかもしれないな。

富士見町役場のディスクロージャーはアナリストである私から見ても、とても充実している。

猿の目撃情報を毎年アップデートして公表しているので、最も古い2018年版と最新2022年版を比較してみた。

こちらが富士見町HPの猿目撃情報で最も古い2018年版。目撃情報が国道20号線と中央道の間のエリアに集中していたのがわかる。
こちらが最新2022年版(情報更新中)。既に一部の群れはエコーライン周辺エリアで目撃されていた。鉢巻道路沿いの我が家にも脅威は迫りつつある。

目撃域の拡大に衝撃を受けた。

もう「エコーライン」周辺に頻繁に出没しているじゃないか (°0°)

だとしたら、標高1,100m位のエリアまで進出している事になる

我が家は標高1,300m。

猿の脅威は標高差で200m程度までに迫りつつあるのだ。

改めて、富士見町HPの猿の「被害対策の基本」を読み返した。

要は「油断せず(環境整備)」、「根気強く闘え(追払い)」とう事だなと私流に解釈した。

 

要は「油断せずに、根気強く闘え!」というメッセージであると私流に解釈した。

インターネット上では、農作物等に被害を及ぼす猿の集団にエアガンで立ち向かう「勇気ある一般市民」の動画や情報が数多く飛び交っている。

そう、「犯罪猿集団」には、自分で立ち向かうしかないのである!
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富士見高原は連日、この時期とは思えない程の暖かい日が続いている。

そのため、仕事の合間にエアガンの射撃訓練に励む事が出来る。

我が家の敷地内は優れたシューティングレンジなのだ。

今日は、一撃必殺用 L96 AWSで距離25mほどのターゲットを狙う事にしよう。

L96 AWSはスナイパーライフル。今日はこのエアガンで25m程度の距離に置いたターゲットを狙おう!

八ヶ岳ライフは「闘いの場」でもあるのだ…

 

by『八ヶ岳稿房主』