今日11月9日は、愛犬「カリン」の命日である。
亡くなったのは2012年。我が社の会社設立に係る諸手続がすべて無事に完了した日の翌々日だった。
11月7日までは、私と一緒に八ヶ岳に滞在。いつもと変わりなく元気だった。
その日の午前11時過ぎ、私が諏訪の法務局や茅野の銀行等を会社設立関係の手続きで訪れるために、八ヶ岳本宅の留守番を頼むと、尻尾を左右に大きく振って送り出してくれたのだ。だが、私が手続きを終えて午後3時前に八ヶ岳本宅に戻った直後に、急に具合が悪くなりグッタリとしてしまった。
当時のことは頭の中に霞みがかかったようで、よく覚えていないのだが、慌てて新百合ヶ丘自宅に戻り、幼犬の頃からお世話になっていた獣医さんの所に直行した。D4でずっと時速120km以上で中央道を走行したことだけは妙にはっきりと覚えている。
動物病院で一旦は落ち着いた状態になっなったのだが、翌8日に再び容態が悪化。最期は長く住んだ自宅でという事になったのであろう。夜遅くに家内と三男と私の三人で、カリンの居場所であった2階のリビングに運んだ事もボンヤリと記憶にある。
9日に日が変わってからどの位経ったかも定かではないのだが、急に呼吸の荒い状態が数分続き、その後、静かに息を引き取った。
どう自宅に戻って来たかは不明なのだが、当時、静岡と甲府に赴任していた銀行員の長男と次男もしっかりとカリンの傍にいた。我が家の家族に5人に見守られての最後だった。
享年15歳6ヶ月、獣医さんによれば人間では100歳位に相当するとの事だった。また、動物病院に運び込んだ直後の血液検査の結果では、明らかに多臓器不全の状態にあり、その日のお昼前まで元気であったのは、信じられない(相当無理をしていたのだろう)との説明を受けた。
すぐに「ああ、カリンは会社設立を最後まで見届けてくれたんだな。」と思った。八ヶ岳が大好きで大好きで、亡くなる迄の「八ヶ岳お供日数」では、社主さま(家内)を大きく上回りダントツのトップだったのである。
今でも不思議に思うことがある。20年以上も前、八ヶ岳の第2の拠点探しのため、初めて小淵沢や富士見界隈を訪れた時の事だ。中央道長坂IC手前で雄大な八ヶ岳の光景を目にした私は、懐かしさのようなものが急に胸にこみ上げてきて涙が溢れ出そうになった。
まったく同じタイミングでカリンは切なげな鳴き声を上げ、当時の愛車であったパジェロのカーゴルームで慌ただしく動き始めたのである。以来、彼女のその不思議な挙動は、亡くなるまでの12年以上続いたのである。
私とカリンの前世は、5,000年以上も前の八ヶ岳西麓に住む「縄文人とその愛犬」であったと確信している。
今でも、八ヶ岳オフィスで仕事をしている際に、カリンが足元に寝そべっているような気配を感じる事がある。八ヶ岳の敷地内を散策する際には、尻尾を振って私の右脇ちょっと後ろを歩いているカリンの息づかいが聞こえてくるような気もする。
亡くなって7年経過したが、カリンは私の大切な大切なパートナーなのだ…