今日、11月9日は亡き愛犬「カリン」の命日である。
亡くなったのは2012年11月9日だったので、彼女がいない暮らしが早10年も続いたことになる。
雌のイエローラブで享年15歳6ヵ月の「長寿犬」だった。
13歳を迎えた時に川崎市の獣医師会から長寿犬表彰を受け、この際だから20歳まで長生きしてもらおうと思ったのだが、大型犬にはさすがにそれは無理だった。
11月7日の朝までは元気で、我が社の設立登記簿が交付されるその日に、法務局の諏訪支局に向かう私を尻尾を振って送ってくれた。
だが、会社設立の手続が一通り済んで、私が八ヶ岳の本宅戻った直後に、彼女は急にグッタリ横たわってしまった。
大慌てでD4で新百合ヶ丘の自宅に戻り、そのまま長年のお付き合いの獣医さんに直行し入院。
丸1日入院したのだが、多臓器不全でもう手の施しようがないとの事で、最期は自宅で看取る事にした。
カリン危篤状態の連絡に、長男と次男が慌てて赴任先から自宅へと戻り、9日の未明に私と社主さま(家内)、そして3人の息子達が見守る中、天に召された。
私の会社設立をしっかりと見届けたとしか言いようのない最期だった。
我が家の家訓「散り際は美しく、そしてスマートに」を正に体現したような最期であり、気位の高いカリンらしい別れだったなと、今でも思う。
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決算分析山籠もり突入前のこの時期に、私がわざわざ自宅に戻ったのは、ひとつは東京での仕事に対応するためである。
だが、それ以上に重要なのは、床屋やカイロプラクティック通いにD4の洗車等々、新百合ヶ丘の自宅でなければ出来ない事を済ませるためだ。
そのひとつが「カリンのお墓の掃除」なのである。
八ヶ岳オフィスも自宅リビングも一番良いスペースにカリンの遺影や線香皿が置いてあるのだが、墓石は新百合ヶ丘自宅、それも風雨の当たらない煉瓦で囲んだ花壇風スペースにある。
今朝は、NHK朝ドラ「舞い上がれ!」を見終えた後、早速、カリンの墓石やその周辺の掃除に取り掛かった。
墓石掃除を終えた後は、2階のリビングに移動して、今度は遺影回りを掃除・整頓。
そして、新しいお菓子をお供えして線香を上げた。
自宅リビングの遺影の脇には、カリンの在りし日の写真を綴った分厚いアルバムが置いてある。
最初から1枚1枚丁寧にページを捲っていくと、カリンと過ごした15年半の歳月が鮮やかに蘇る。
ああっ、カリンは3人の息子達をいつも守ってくれてたんだな…
私と八ヶ岳で過ごしている写真も沢山残っている。
存命中の八ヶ岳滞在日数は、子育てで忙しかった社主さまを大きく上回るだろう。
そもそも八ヶ岳本宅購入は、カリンをノーリードで思いっ切り自由に遊ばせる事も理由のひとつだった。
前愛車のランクル100に至っては、サードシートを収納して広いスペースでカリンを快適に八ヶ岳に連れて行くために購入したと言っても過言ではない。
今でも息子達が自宅や八ヶ岳にやって来ると、必ず在りし日のカリンの事が話題になる。
そして、これは本当に凄い事だと思うのが、カリンが亡くなってからの10年間「新しい犬を飼おうよ。」と誰も、一度も言った事がない。
それ程に、我が家にとってカリンの存在は、大きかったのだと思う。
カリンの気配は亡くなった後も頻繁に感じた。
気配を感じなくなった時期もあったが、その時は、どうやら3人の息子達を見守るために巡回していたようだ。
幸い、息子達3人も素敵なお嫁さん達と結ばれて、漸く落ち着く事が出来た。
そのためだろうか? 最近、オフィスで仕事をしているとカリンの息遣いを感じる事が増えてきた。
息子達に子供(私からすれば孫か…)が生まれるまでは、巡回をやめて、私と社主さまの側に寄り添うと決めてくれたらしい。
そうか、「愛犬がいない暮らし」って表現は間違いだよな!
カリンは今でも、私達家族を見守っていてくれるのだから…
by『八ヶ岳稿房主』