「国際縄文学協会」の特別講演への参加を終えた私は、西新橋のビルから霞ヶ関へと徒歩で移動。
距離にして700m程度だったと思うが、途中、平日はビジネスマンで賑わう霞ヶ関の人が疎ら(と言うか閑散)である事に驚いた。まるで「別の街」に迷い込んでしまったかのようだったのだ。
霞ヶ関駅のよく使うC3出入り口の階段を下りようとして、ふと周辺を見渡すと、飯野ビルの脇に緑豊かなスペースがある事に気が付いた。
これまで何度となく訪れた事のあるはずの場所なのだが、まったく記憶にない。いつもは人混みにばかり気を取られていて、視野が狭くなっていたのだろうか?
地下鉄乗り場への階段を下りるのを止めて、この「緑のスペース」を見学する事に決定。私は、日本野鳥の会会員であるので「巣箱」が掛かっている事にすぐに気が付いた。
「八ヶ岳の野鳥と比べたら、この巣箱の住人は偏差値が高いんだろうな。」なんて、くだらない事を考えながら見学続行。不思議なのだが、妙に落ち着く居心地の良い場所である。
高層ビル街の緑のスペースなんて珍しくも何ともないが、その多くはどうも「嘘臭い」雰囲気が漂っていて、私はあまり好きではない。人間の都合で、人間が管理しやすい樹木を並べただけって感じを抱いてしまうのだ。
それに対して、この飯野ビル脇のスペースの居心地の良さはどこから来るのだろうか? やがて気が付いた。ここは「雑木林」なのだ!
田舎の里山に行けば、どこにでもありそうな雑木が、控えめながら一所懸命自己主張している。
八ヶ岳オフィスの敷地に隣接する財産区林程には乱雑ではないが、柳生博さんの「八ヶ岳倶楽部」の一角を切り出したような「雑木林」独特の優しさがここにはあった。
「公園」と呼ぶにはちょっと狭い気がするし、ただの「緑のスペース」で括ってしまうのには違和感がある。
スペース内のベンチに腰掛けて、樹間に垣間見えるビルを眺めながら缶珈琲を飲んだ。ふと頭に浮かんだのは「ビオトープ(Biotop)」という言葉だった。
日本語にすると「生物生息空間」って感じだろうか。先程の巣箱に実際に野鳥が営巣しているかどうかは定かでないが、この雑木林が如き一帯は、明らかに生物の棲みやすさのような物が伝わってくる。
私がベンチに座っていると、目の前を女性1名と男性2名が、周辺の樹木を指差したりしながら通り過ぎて行った。平日の霞ヶ関でよく見る格好ではなく、女性の方は「ゼネコンの施工管理者」、男性は「造園業者」さんのような出で立ちである。
缶珈琲を飲み終えてから、もう一度、樹木名の表示を確認しつつ私がゆっくり見学していると、先の3名と今度は、すれ違った。
思い切って「このスペースを作られた方ですか?」と尋ねてみた。すると女性の方から「作ったというよりも管理作業を担当しています。」との答が返ってきた。
「そうですか。ありがとうございます。本当に居心地の良いビオトープですね!」と私が言うと、全員から「ありがとうございます。」という爽やかな返事が返ってきた。
見学時間は約15分。最近の東京では、ほとんど体験した事のない「素敵な時間」となった。まさか「霞ヶ関」で癒やされるなんて…
「7年ぶりの東京休日ひとり旅」を終えて、川崎自宅に戻ったのは、午後5時20分。いつものように、社主さまに「今日の出来事」をご報告。
「講演2時間しっかり聞けたよ」と自慢すると、「偉かったね」と褒めてくれた。上司の評価も高まり、5月12日は、とっても良い日だった!