『阿久遺跡』は、八ヶ岳オフィスが所在する富士見町の隣町「原村」にある「縄文時代前期」を中心とした遺跡である。オフィスからの距離は約13km、車では20分弱(途中、かなり信号がある)の場所にある。
有名な土偶さんや土器が出土した遺跡ではないが、1990年代の前半に実施された調査で青森県の「三内丸山遺跡(https://triglav-research.com/?page_id=6870)」の全貌とその広大さ(約40ha)が明らかになるまでは、我が国最大の縄文時代の集落跡と位置付けられていた。
1975年の我が国の高度経済成長期、中央自動車道の建設工事の際に発見され、部分的発掘調査を実施。そして、巨大な「環状列石群(ストーンサークル)」や掘立柱建物址、多数の竪穴式住居址等が発見され、縄文時代前期を中心に大規模集落が形成されていた事が確認された(http://archive.fo/DSzPP)。1979年には国指定の史跡となっている。
だが、遺跡の中心部分が中央道のルートと重なるため、調査後には「埋め戻し」による保存措置がなされた。そう、中央道の下に眠る「広大な縄文集落址」なのである。
阿久遺跡
所在地:長野県諏訪郡原村
標高: 約900m
面積:56,000㎡
年代: 縄文時代(前期が中心)
「阿久遺跡」の最大の魅力は、八ヶ岳、蓼科方面の山々、そして南アルプスを眺望できる「開放感抜群」のロケーションであろう。特に、八ヶ岳・蓼科方面を遠望する際に「遮るものがない」という意味では、ここも「特別な場所」である。
そして、もうひとつの魅力が、遺跡を埋め戻した場所に形成された『阿久の森』だ。中央道の脇に位置する「広葉樹林(雑木林)」であり、陽当たりが良好。本当に穏やかで、心安まるスペースである。森の中では、様々な種類の動物や鳥の彫刻が、散策者を出迎えてくれる。これらは、立木をそのまま彫刻した物(チェンソーアート?)であろう。周辺の樹木に違和感なく溶け込んでおり、思わず、撫でたり、話しかけてみたくなる。
また森の中は、どんぐり(堅果類)が至る所に転がっている。縄文人が愛した「里山」は、きっとこんな感じだったのだろう。この森の中を1人で散策していると、自分が「縄文人」になったような錯覚を覚えてしまう。「不思議な場所」でもある。
もし「阿久遺跡」が埋め戻し保存されずに、三内丸山遺跡のように整備・保全されていたら、どうだろう? きっと、八ヶ岳界隈の看板観光スポットのひとつになっていたに違いない。
まあでも、「中央自動車道の下に眠る縄文人の巨大集落」っていうのも神秘性があってお洒落ではあるな…
八ヶ岳縄文遺跡の四季 ⑧