『銀行業界鳥瞰図』第680号(https://triglav-research.com/?m=20150327) で、既に記したが、3月27日、青空のあまりにもの清々しさに魅入られた私は、家内を中央道小淵沢ICの高速バス停に送った後、そのまま愛車D4(某所で 質問されたが、Land Rover Discovery4 の略称である)で「井戸尻考古館」へと向かった。考古館への道のりは熟知しているが、ナビを設定して距離を確認すると6kmであった。途中は信号もほとん ど無い快適なドライブウェイで、8分程で考古館前の広々とした駐車場に到着した。
考古館の最寄り駅は、中央本線信濃境駅である。駅名が示すように、オフィスが所在する長野県諏訪郡富士見町は、山梨県と県境を接する町である。井戸尻考古館は、この町の「看板博物館」であり、すぐ隣には、富士見町歴史民俗資料館も併設されている。
井戸尻考古館を訪問するのは、今回で5回目である。縄文土偶熱感染前に2回、感染後に早3回となる。では、何故、過去2回の訪問を「縄文土偶探訪記」を記さなかったのか?「器の小さい男(小鉢男)」固有の微妙な心理が働いたのだ。八ヶ岳オフィスからだと井戸尻考古館までは約9km、車で10分程の距離にある。16km、約15分の「尖石縄文考古館」よりもさらに近く、「最寄りの博物館」そのものだ。
収蔵されている縄文時代の土器等は「正に超一級品」であるのだが、どうもあまり積極的な広報宣伝活動をしていないようで、残念ながら知名度では、尖石にやや劣ると言わざるを得ない。そのため、土偶熱感染後の3回の訪問は、ほぼ私の「貸し切り状態」で、本当にジックリと土偶さんや土器を鑑賞できたのだ。
「とっても大好きなここだけは、自分の秘密のスポットにしておきたいな」と考え、「縄文土偶探訪記」の執筆・掲載を躊躇していたのである。でも、今回、考古館を訪れて、とても喜ばしいニュースに接した。やっぱりここも紹介しよう!
==================================================さて、ここから、縄文土偶探訪記「井戸尻考古館」は通常のスタイルでお送りする。
駐車場にD4を置き、考古館周囲の写真を撮影した。時間は午前8時35分。考古館の開館時間は午前9時なので、まだかなりの時間がある。入り口前の広場で、 周囲の景色を眺めていると、何か収蔵物が入っているらしき箱を大切に抱えた職員さんがゆっくりと歩いてきた。「おはようございます」と声を掛けると、挨拶 の後に「見学の方ですか?」と尋ねられた。「ええ」と答えると「どうぞ中に入ってください。」と予期せぬ返事が帰ってきた。勿論、職員さんの後を追った。
エントランスで靴を脱ぎ、スリッパに履き替えるのがこちらのしきたりである。受付は右手。いつもの女性職員さんが対応してくれた。入館料は300円。隣接す る歴史民俗資料館の入館料も含まれておりリーゾナブルだ。エントランスの左手(受付の対面)がすぐに展示室である、入り口正面に「解説ビデオ」の上映コー ナーがあり、その後ろには縄文時代の復元住居が存在感を誇示している。
井戸尻考古館の最大の特色は、とにかく素晴らしい造形の縄文式土器を中心とした展示物が、ギッシリと、そしてひたすら整然と並んでいる点だ。レイアウトに工夫を凝らすとかいう感じではなく、まずは展示物の数に圧倒されてしまう。その整然と並べられた土器や他の展示物にもの凄く詳しい解説が付されている。これらを真面目に読むだけでかなりの時間を要し、同時に他の博物館とは比較にならないような知識が身に付き、興味が湧いてくる。さらに主立った展示物については、音声ガイドが付いている(受付で無料のガイド装置を借りることが出来る)。真面目な(正当派)「考古学マニア」には「垂涎のスペース」と言えるだろう。
土偶の展示数は決して多くはなく、「井戸尻縄文土器」群に比べると、やや地味な存在である。が、ここにもかなりの有名土偶さんが2体展示されている。その1体目が以下の写真に示した「巳を戴く神子(へびをいただくみこ)」である。
正面からの写真ではわかりづらいが、この神子様、頭に蛇を巻いている(纏わり付いていると言うべきか)。ギリシャ神話に登場する「メドゥーサ」に相通ずるところもあるのだが、こちらのお顔は、まるで悟りを開いたかのような穏やかな表情で、全身に厳かな雰囲気が漂う。この顔立ちと「蛇(不死と再生の象徴)」のアンバランスさが堪らないのだ。
さらに「お洒落な人気者」でもある。縄文土偶熱感戦後、最初に訪問した際(前々回)は、頭の羽根飾りがとってもチャーミングだった。前回訪問時は、残念ながら、九州国立博物館に出張中。そう、巡業のオファーがある程の人気有名土偶さんなのである。国宝土偶を含めても「私のご贔屓土偶 トップ5」にランクインする程の超お気に入りだ。。この土偶さんは町内の「藤内遺跡の出土品」であり、この遺跡の他の出土品(土器・石器等)と共に、2002年に国重要文化財に指定されている。
さて、先に「とても喜ばしいニュース」と書いたのは、井戸尻考古館のもう1体の有名土偶、同じく町内「坂上遺跡」から出土した土偶さんが、土偶単体で国の重要指定文化財に指定される事が、3月13日に決まったのだ。館内入り口には、このニュースを伝えるポスターが誇らしげに飾られていた。\^^/
この土偶さん、愛称は無いようだ。私は初回訪問時に勝手に「富士見のバンザイ土偶さん」と名付けた。バンザイらしき仕草だけでなく、満面の笑みをたたえたような表情は、見ているだけで、幸せな気分が伝わってくる。バンザイ土偶は、現在、文化庁に出張中で、井戸尻考古館に凱旋するのは5月末以降との事。考古館の職員さんのお話しでは、4月21日頃から、上野の東京国立博物館に展示される予定らしい。全国講演の東京Dayの隙間時間で、是非、お祝いに伺いたいと思う。下の笑顔のアップ写真は、前々回訪問時に撮影した物である。
井戸尻考古館で、単独の展示収納スペースを与えられている土偶さんは、巳を戴く神子とバンザイ土偶だけである。他の土偶さん達は、ほとんどがパーツであり、全部で30〜40個程がショーケースに並べられている。その中で、最も目立つのが、下掲の「嘆きの土偶」である。ショーケースのガラス越しに観察する限りは、表情が「嘆き」であるか否かははっきりしないのだが、バンザイ土偶さんとは発しているオーラが確かに違う。このように、土偶さん達も看板の「井戸尻土器群」に負けない位の存在感を発しているのだ。
縄文土偶熱感染後の訪問も3回目となるとさすがに鑑賞時間は30分間もあれば十分である。受付に戻り、職員さんにビデオ上映をお願いする。今回は「八ヶ岳山麓の縄文遺跡群 その広がりと移り変わり」を鑑賞。上映時間は6〜7分だった。
ビデオ鑑賞を終えると最後の儀式「ミュージアムショップ」でのお買い物となる。このショップがまた「井戸尻」らしい。グッズと呼べる物は、代表的な収蔵物の写真(絵葉書?)のみ。それ以外は、発掘報告書、講演録集、縄文関係の書籍などがかなりの数、並んでいるだけだ。来館者に媚びることのない真面目さのようなものが伝わってくる。こういうところが、さらに私の好みに合うのだ。
私は、土偶熱感染後の井戸尻考古館訪問では、必ず書籍を1冊購入することに決めている。今回は。ネリー・ナウマンの著書「生の緒―縄文時代の物質・精神文化」を購入し た。値段は確か5,000円位だったかな(Amazonでは5,040円だったので、間違ってないと思う)。購入した縄文時代や縄文土偶に関する写真集・ 書籍の数は既に30冊を超えている。八ヶ岳オフィスでの仕事の合間に、ロフトに置いたソファ・ベッドに寝転がって読む事が多い。ピケティの「21世紀の資 本」は途中で飽きてしまったが、「生の緒(378ページ)」は、全国講演が終わったら読破するつもりだ。
こうして、土偶熱感染後3回目となった井戸尻考古館の訪問は、いつものように大いなる満足感と共に終了した。バンザイ土偶さんの国重要文化財指定は、訪問して初めて知ったので、ポジティブ・サプライズであった。
それにしても、八ヶ岳オフィスから車で15分以内の距離にある「尖石縄文考古館」と「井戸尻考古館」が発する土偶さんパワーは凄い! 前者は「縄文のヴィーナス」と「仮面の女神」の国宝土偶2体、後者は「巳を戴く神子」と「バンザイ土偶さん」の国指定重要文化財2体という超豪華な顔ぶれである。
縄文時代の一時期、八ヶ岳西南麓の一体が「我が国(縄文)文化の中心」であったとの見方は、おそらく間違っていないのだろう。長野県と山梨県がタッグを組んで、土偶さん達の「世界文化遺産」登録を目指すべきだと心底思う。トリグラフ・リサーチの業務のひとつとして、本気で取り組んでも良いと考えている。
トリグラフ・リサーチ 稿房主
探訪日:2015年3月27日(金曜日)
『縄文土偶探訪記』 Vol.14