【オフィス・セルフビルド回顧録】屋根工事 苦闘編 2日目

忘れもしない2013年8月2日は、Team Triglavが、オフィス・セルフビルド作業において「最大の壁」に直面した日だった。

この日は朝から、Tさんとその息子のRちゃんが、助っ人として参戦。1日で屋根の垂木工事を完成させる予定だった。だが、どうしても工事のやり方がよくわからない。

足場の最大積載荷重を示したプレートがまるで「イエローカード」のように心理的圧力をTeam Trigalvに及ぼした。この日、屋根工事をどのように進めてよいのか、サッパリわからなかったのだ…

ログキットに付属しているマニュアルには、詳細な工程についてはほとんど記載がない。どの部分にどの部材を使うかの対応表といった程度の内容である。W社長に尋ねてみると、元々、プロのログビルダーを想定しているので、どのモデルも同じようなレベルの記載内容との事。おそらく具体的な作業については「知ってて当たり前」というスタンスのマニュアルなのだろう。

工事手順に関する情報不足を補ってくれたのは『手づくり ログハウス大全(地球丸出版・全290ページ・3,500円)』というたった1冊の本だった。私がこれを熟読し、ログキットの部材と照らし合わせつつ、詳細な工程手順を組み上げ、ログ壁立ち上げまでの工程をなんとか乗り切ってきたのだ。

セルフビルドの良き羅針盤であり、バイブルでもあった「手づくりログハウス大全」の表紙。この300ページ近い本を私はセルフビルド作業中に何度読み返した事だろう… ログキット付属のマニュアルはプロ仕様との事で、プラモデルの組み立て図の方がまだ詳しいという程度だった。

ところが、屋根工事に移行する段階で、屋根構造には「シンプルタイプ」「断熱性重視タイプ」「断熱性と換気性を重視したタイプ」等々、様々な構造がある事を知った。W社長との事前相談で「断熱性」「換気性」共に十二分の配慮をするという事で、部材の手配を終えていた。当然ながら、工程は複雑になる。また、金具を大量に使うのが屋根工事の特色なのだが、この取付方もよくわからない。Tさんにも部材と「ログハウス大全」を見てもらったが、やはりよくわからない。

屋根は、オフィスを直射日光や雨から守ってくれる大切な存在であるのは言うまでもない。間違った作業をしてしまってからの修正は時間とコストの浪費となるので、この日の朝にW社長に泣きついた。すると、「屋根だけはプロ(大工さんやログビルダー)の力を借りた方が早いかもしれませんね。」とのアドバイスがあった。

W社長の動きはいつも迅速だ。1時間もすると「今日の午後半日だけですが、大工さんを1人確保出来ました。自宅の巨大なログハウスをセルフビルドした人なので、最適だと思いますよ。当然、手間賃は掛かりますが..」との連絡があった。即断でお願いしたのは言うまでもない。

お昼過ぎに軽トラックで大工さん(以降、屋根先生)がやってきた。大工さんと言うよりは、芸術家風のお洒落な方であった。ログキット付属のマニュアルをパラパラッと見て、即座に「すぐに作業に取り掛かりましょう。男4人(屋根先生、Tさん、Rちゃん、そして私)なら、屋根工事の主要な部分は半日で終わります。もっとも皆さんの腕次第ですが…」といきなりプレッシャー発言。ひえ~

屋根先生がマニュアルを眺めているお姿。本当はちゃんとしたお名前をうかがったのだが、この日の作業の後、Team Triglavの中では、「あの屋根の先生」と自然にお呼びするようになった。そんな「威厳」があった。

作業開始からのペースの早さは凄まじかった。最初の30分位で、屋根先生の相対作業のパートナー役(Tさん)、パワー&高所系(Rちゃん)、金具やビス留め等細かい作業系(私)といった感じに自然に役割分担が出来上がった。

1時間程作業したところで屋根先生から「皆さん、私が想像していたよりも仕事が早い。これなら屋根の主要部分を組み終えて、翌日以降の作業を詳しく説明するところまで行くと思うよ。」との嬉しいコメントがあった。

それから屋根先生が作業現場を後にする午後6時半頃まで、ひたすら作業が続いた。おそらく、途中で2回程、休憩時間があったはずなのだが記憶にない(心理的な休憩時間はなかった)。正直、屋根先生の作業の指示やペースについていくのがやっとだった。

Tさんも、この日の作業の後で「人の指示で動くのはキツいね~」と語っていたので、同じような気持ちだったのだろう。

私は、オフィス・セルフビルド作業の進捗状況を2,000枚以上の写真でかなり丁寧に記録に残してきた。DIY作業をする時の常であり、DIY全体では3,000枚近いデジタル写真がストックされている。

だが、唯一、2013年8月2日だけは作業に係る写真が1枚も無い。これは、屋根先生の指示に従って動くのに精一杯で、写真撮影する暇が全くなかった(と言うか、そんな事を忘れる程必死だった)のである。そんなわけで、Team Triglavの苦闘の様をお伝えできる写真をWebに掲載できない。でもまあ、これはこれで良い(そして苦い)セルフビルドの思い出である。