オフィス・セルフの屋根工事の残りの工程については、野地板工事からは、2日で1工程を終えるという少しのんびりとしたスケジュールを組む事とした。
理由のひとつは、まだ枠組のみとは言え屋根が出来上がった事で、雨対策がかなり楽になった事にある。
もうひとつは、私の肉体疲労が蓄積し、利き腕(右腕)が思うように動かせなくなったためだ。部材の運搬、インパクトドライバや木槌の使用とその衝撃、丸のこ盤での部材カットを日々繰り返してきた結果、遂に右腕が悲鳴を上げ、インパクトドライバを握るのがやっとというような状況になっていた。
セルフビルドの工程はまだまだ長く、まだ屋根工事の段階で「再起不能」となるわけには行かない。そこで、作業のスピードをやや落とすのもやむなしと判断したのである。
8月10日(土)と11日(日)は、垂木の上に構造用合板を敷設する「野地板貼り」とオフィス外壁に塗装「キシラデコール」を塗る作業(1回目)に充てた。助っ人は、お馴染みの棟梁Tさん。息子は次男と三男が参戦。勿論、セルフビルド作業の大黒柱となりつつある家内が参加したのは言うまでもない。
作業1日目の10日は下準備が中心。クレーン車で作業現場に搬入済みの構造用合板を垂木の上に移動、屋根の形状に合うように墨打ちし、電動丸のこでカットして行く。天気が不安定であったため、外壁の塗装工事は見送り。Tさん、私、次男、三男の男4人組を中心に急がず慌てず作業を進めた。この日の私は、野地板の組み合わせと墨打ち中心の作業であったので、右腕に負担をほとんど掛けずに済んだ。
翌11日は朝から快晴。高所作業に強く身軽な次男が大活躍。銀行員とは思えない身のこなしで、野地板をピッタリと敷き詰めて、その隙間にブチルテープを器用に貼っていく。
Tさんと私は、インパクトドライバでひたすらステンレスのコーススレッドを打ち込む作業に没頭、垂木のない部分に打ち込むと水漏れの原因にもなるので、慎重かつ迅速にインパクトドライバでコーススレッドを打ち続けた。途中からブチルテープを貼り終えた次男も参戦し、屋根の上ではインパクトドライバのモーター音が三重奏を奏でた。
家内と三男のチームは、朝からキシラデコールの塗装に着手。カラーは、八ヶ岳本宅と同じ「チーク」を選択したので、切妻屋根・カナダ産の丸ログ(本宅)と片流れ屋根・フィンランド産の角ログ(オフィス)を形状・材質は異なるものの、外壁の色は「お揃い」となった。
野地板貼りと外壁塗装の作業をすべて終えたのが11日の午後5時前だった。皆で貼り終えた野地板の上で記念撮影。この時の写真は、長きに亘るオフィス・セルフビルド作業において「Best10」にランクインする程、思い出深いものとなった。
Tさんご夫妻と次男は、この日の夜に川崎自宅と甲府のマンションにそれぞれ帰宅。翌日からの屋根工事(ルーフィング貼り)は、計画通り、私と家内、そして三男で進める事になった。
だが、この日のインパクトドライバの作業で、私の右腕の状況はさらに悪化。上腕部から肩に掛けての熱と痛みで、この日の夜はよく眠れなかったのを覚えている…