探訪博物館: 新潟県 馬高縄文館
(http://www.museum.city.nagaoka.niigata.jp/umataka/)
探訪日: 2016年3月9日
探訪目的: 美形土偶「ミス馬高」さま
「新潟県立歴史博物館」を後にした私は、雪が舞う中、徒歩で次の目的地「馬高縄文館」へと向かった。県立歴史博物館の受付の方から、徒歩で10分強の場所とは聞いていたが、念のためスマホのマップアプリで確認すると、確かに距離で1km強の場所である。
15分もあれば余裕で着くなと考えて出発したのだが、甘かった。県立博物館から馬高へ向かう道は、2車線、両サイドにゆったりとした歩道の完備された、冬以外であれば良好な「お散歩ロード」と思われる道だった。が、車道部分は完全に除雪されていたのだが、歩道はほぼ放置状態。かなりの部分が雪が15cm位積もったままの状況。おそらく地元の方は、この季節は、この道路を歩いて利用する事はほとんどないのだろう。
私は勿論、冬の「北国巡業用」の特殊装備(ゴアテックスライナー・内部ボア付・底面滑り止め)シューズで新潟入りしたのだが、ここまで積もった雪が深いと効果は無い。雪の解けた部分を慎重に選んでジグザグに歩いて行くうちに、自然とまた軍歌「雪の進軍」の歌詞が頭に浮かんだ。「雪の進軍氷を踏んで どれが河やら道さえ知れず…」。
10分も歩くと後悔の念がピークに達した。どんなに待っても、タクシーを呼ぶべきだった…結局、20分程かけて、漸く、「馬高縄文館」に到着。こんなに辛い【縄文土偶探訪記】は、第1回目の「三内丸山遺跡探訪( https://triglav-research.com/?page_id=6870)」以来である。あの時は、雪も凄かったが、岡山から青森まで、寝台特急と新幹線を乗り継いでの移動(https://triglav-research.com/?p=6442)も超ハードだった。単に「博物館に辿り着くまでの苦労」という意味では、「馬高縄文館」の過酷さがダントツである。
「馬高縄文館」の訪問は、実は、2014年4月24日に次ぐ2度目だ。初回訪問時は、雲ひとつない青空の下、インパクト抜群の火焔土器オブジェがあるお洒落な博物館だなと感動したのだが、2度目の訪問は、何故か、私を拒んでいるかのように感じられた。雪のためか、それとも2年近くも「未配信お蔵入り状態」としてしまった私の負い目なのかはよくわからなかったが…
私が、こうまで苦労して「馬高縄文館」を訪れた理由はひとつだ。どうしても、再度お目にかかりたかった超お気に入りの有名土偶さんがいらっしゃるからである。美形で癒やし系の『ミス馬高』さまである!
疲労困憊し、既に精神的な余裕を失っていた私は、受付で入館料200円を支払うと、エントランスにある大型の火焔土偶レプリカを一瞥し、その後はすぐに「ミス馬高」さまの展示スペースへと直行した。
そこには、癒しの微笑みで「いらっしゃい。大変な目に遭ったわね。お疲れ様…」と優しく囁きかけてくれるあの土偶さんが鎮座していた。
「あぁ、苦労して来てよかった! やっぱりミス馬高は超弩弓のパワーアイテムだ。」そう、確信した。
ミス馬高を様々な角度から、5分程眺めた。すっかり元気な状態に回復した私は、他の土偶さんや、馬高縄文館の看板展示物である「火焔土器」の造形美を20分程堪能した。
滞在時間は30分程度を予定していたので、その後、受付に戻り、ミス馬高も含まれているポストカードや火焔土器のクリアファイル等々を購入した。そしてダメもとで「ミス馬高のレプリカは売ってないんですか?」と訪ねる。すると受付の方が「以前にも同じ事を聞いてきたお客さんがいたんですが、レプリカは作っていません。予定もありません。」との答が返ってきた。「そのお客さんは私です。」と言ってしまいそうになったが、グッと堪えた。
こうして、私の第2回目の「馬高縄文館」探訪は(辛かったが)無事に完了した。私が、長岡駅に戻るに際して、タクシーを呼んだのは言うまでもない…
トリグラフ・リサーチ 稿房主
【縄文土偶探訪記】