急速に変わりつつある趣味趣向 ① 夕陽編

9月の中旬に50数回目の誕生日を迎えた。1の位を四捨五入したら「還暦」、10の位ですれば「紀寿」となった。もう間違いなく「人生の終盤戦」に突入している。

相も変わらず講演で全国を飛び回っているが、肉体的にはすこぶる元気だ。今年春の人間ドックでも「血液がサラサラ」なのと「脳(機能)年齢が32歳」である事は褒めてもらった。40歳代の後半から急速に進んだ「老眼」には辟易したが、ここ1年程度は安定期に入ったようで老眼鏡の度数を変更せずに済んでいる、要は「結構元気なオッサン」なのである。

だが、最近、特に時代が「令和」に移った頃から自分の「趣味・趣向(或いは嗜好)」の変化に何かの切っ掛けで気が付いて、そして驚く事が増えてきた。面白いので、認識した際に小まめにメモするようにしているのだが、この変化はかなり急速に進んでいる。

こんな事を『八ヶ岳稿房』で書こうと思ったのは、ビジネスサイトである『銀行業界鳥瞰図』で書いた文章を読み返したためだ。『すべてを私1人でこなすには無理があるのも事実だ。代わりに「切る仕事」「捨てる仕事」を探さなくてはならない…』なんて表現があったのだ。エッ、これ私が書いたのか?

元々「迷ったら捨てる!悩む前に切る!」というのが信条であったが、これは「無駄な事はしない(嫌い)」という意識の具現化だった。優先順位付けもしようとせずに、いきなり「代わりに切るものや捨てるものを探す」だって??  自分の文章とは思えない。

1~2年前なら、コストを掛けてもさらなる業務の効率化を進める手段をまず考えてから、新しい事にチャレンジしていたはずなのだが… 確かに最近は「まず切る事・捨てる事」を前提に動いている気がする。これも「加齢」のためなのだろうか?

実は昨日の夕方も「趣向(この場合は嗜好の方適切かな?)の変化」を実感した。仕事が一段落して午後5時前にオフィスのドアを開け本宅に向かおうとしたら、本宅三角窓に夕陽が映っていた。ガラスに映ったためか、とても優しい光で思わず見とれてしまった。こんな事初めてである!

オフィスのドアを開いた途端に本宅三角窓に映る夕陽が視界に飛び込んできた。思わず見とれてしまった。本宅購入後20年で初めての経験だった。

ふと、数日前も夕陽が美しくて、わざわざ運転中のD4を道端に駐車して写真撮影したのを思い出した。夕焼けと言うよりも、光が雲に反射した様子が印象的だったのだ。

D4運転中に「ああっ、何かイイ感じの秋の夕暮れだな…」と思って道端にわざわざ駐車して写真撮影。キャラ変わっちゃったかな?

八ヶ岳ライフを始めてからは、朝陽も夕陽も共に愛でてはいたが、圧倒的に「朝陽」の方が好みだったのだが、いつから「夕陽」の方により心惹かれるようになったんだろうか…

何か重い病気に罹ったわけじゃないだろうな?