ルーフィング貼り作業以降、「戦力外」になってしまった私に代わって、屋根工事に取り組んでくれている家内と三男の奮闘ぶりには、本当に頭が下がる思いだった。同時に、炎天下の屋根作業の過酷さが傍目に見ても伝わってきた。
ルーフィング材、そして次なる作業で用いる屋根材(アスファルトシングル)は共に色が濃いため、屋根の上の熱さはさらに上昇するだろう。家内と三男まで熱射病になってしまっては「戦力外現場監督(要は能なし)」として失格である。
そこで、屋根工事の最終工程である「屋根材貼り」は、午前中朝早く、或いは、夕方に作業を限定して3日間で終了させる事とした。だが、私の腕と肩の状態は8月14日頃から快方に向かっている手応えはあったが、首の状況は相変わらずで、ちょっと動かすと痛みが走り、戦力として復帰するのはまだ無理だった。
アスファルトシングル材(以下「屋根材」に表記統一)は、1パッケージがなんと24kg。W社長から直射日光に当てないように指示があったため、ブルーシートに包んで、メインウッドデッキの隅に小山のように積み上がっていた。おそらく、オフィスの作業現場まで30m以上距離があったはずだ。8月14日の朝は、家内と三男2人でひたすらこの屋根材を運び続けた。
夕方涼しくなってから、屋根材貼り作業に着手。ルーフィング材と同じように、屋根の傾斜の下側から上側に向けて「重ねて、不要部分をカットして、固定する」という作業をひたすら繰り返す事になる。
ルーフィング材と異なるのは、①接着及び防水機能を有する粘着部分のシール剥がし作業が必要 ②タッカー留めではなく、屋根材専用の特殊釘を1枚のシートに付き10数本打ち込んで固定する必要がある 点だ。私は、肩や腕に衝撃がかかる「釘打ち」作業を出来るような状況ではなかったので、結局、家内と三男が2人で屋根材貼りも完遂する事になった。
唯一、私が貢献できたのが、屋根材のシール剥がしであった。このシール部分は、ちょっと日光に当たった程度で温度が上がり、粘着度が大幅に増す。そうなると剥がすのが極めて困難になるという「厄介な部材」だった。
だが、粘着度アップの温度に至ってさえいなければ、簡単に(気持ち良く)剥がす事が出来た。そこで「日陰部分に置いた屋根材のシールを左手で剥がして運びやすいように並べておく」という超情けない作業が私の担当となったのだ。
14日の夕方、試行錯誤しながら下から5段程度を貼り終えた。家内と三男は作業の手順と要領をすっかり身に付けたようで「半日作業でも、あと2日で余裕で終わるね。」みたいな事を話していた。なんて頼もしいんだ!!
結局、家内と三男は宣言通りに、15日と16日は午前中のみ屋根材貼り作業を黙々と続けた。そしてこの間、私は肩身の狭い思いをしながら、ひたすら「シール剥がし」を続けたのである。
結局、16日のお昼前には「屋根工事」はすべて完了。12日から16日の「ルーフィング貼りと屋根材貼り」の作業は、家内と三男がほとんどすべて担当した事になる。日数的には5日に亘ったが、半日作業がほとんどだったので、正味作業は2人で3日程度であろう。作業効率の高さは、私の事前計画(3人で丸4日)を大きく上回った。
17日の朝、Tさんご夫妻が助っ人として八ヶ岳にやって来た。私が戦力外になって、家内と三男2人でルーフィングと屋根材を貼った事にご夫妻共に驚く。ちょっと心配に思ったようで、Tさんが屋根の仕上がりを三男と見に行った。
「ズレや曲がりもなく、本当に綺麗に貼れてますね。端やコーナーも確認しましたが、見事に固定されていますよ。いや~、本当に大したものだ。」とのお言葉。前日(16日)の夕方、私も仕上がりを確認したのだが、正にTさんの言葉通りだった。「もう。きよちゃん(私の事)、2人に頭が上がんないね!」とTさんの奥様Yさんからとどめの一撃もあった。
オフィスの完工は2013年の12月末となる。その直後、2014年2月中旬に、オフィス周辺は1.2m以上という「未曾有の大積雪」に襲われる。それでなくても、冬の最低気温は零下20度程になるという過酷な自然環境に我がオフィスはあるのだ。
家内と三男が屋根工事を終えてから丸4年。2人の作品(屋根)は、雨漏りひとつなしに、しっかりと弊社オフィスを守っていてくれる。