「特別な日」というのは続くもので、昨日、11月9日は亡き愛犬「カリン」の命日であった。
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天に召されたのは、2012年であったので、ちょうど13年が経過した事になる。

今でも鮮明に思い出されるのだが、我が社の設立登記の手続がすべて完了し、書類一式を受け取って諏訪の法務局や銀行での手続を終えて八ヶ岳本宅に戻ると、カリンがグッタリとしていた。
諏訪に向かう際には、尻尾を元気に振って送り出してくれたので、何が起こったのか理解できなかった。
外に出たがったので本宅のドアを開けてあげると、ヒョロヒョロとした足取りで、敷地内を歩いて回った。
そして、枕木テラスに戻ったところで、もう歩けなくなった。
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それまで経験した事も無い早さで撤収準備を済ませて、カリンをD4の荷室(彼女の専用スペース)に乗せると、二度と経験する事はないであろう猛スピードで中央道を爆走。

社主さまの待つ自宅へと向かった。
そして、社主さまと2人で、カリンが子供の頃からお世話になっていた自宅から徒歩で3分程の獣医さんへと運んだ。
そのまま入院。一旦は落ち着いた状態になったのだが、翌8日になって容態が悪化。
多臓器不全でもう手の施しようがないとの診断で、長年暮らした自宅に連れ帰る事になった。
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カリンの状態を知らせると、当時、静岡に赴任中の長男、甲府に赴任中の次男もすぐに自宅に戻ってきた。
そして、9日の未明、私達家族5人が見守る中、静かに息を引き取った。
私も社主さまも息子達も、声を出して泣いた。
15歳6ヵ月、ラブラドール・レトリバーとしては長寿であった。

私の会社設立を見届けてくれたとしか思えない、カリンらしい凛とした、それでいて優しい最期だった。
「もう一生、犬を飼う事はないだろう。」
カリンとの思い出が濃密すぎたので、私は彼女の葬儀の時にそう思った。
そして、あれから13年、その通りになった。
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新百合ヶ丘の自宅には、庭にカリンの墓石、リビングには遺影が置いてある。
遺影の額の下部には、川崎市獣医師会から送られた「長寿犬彰」が飾ってあるのだ。

表彰式の時は、カリンは20歳くらいまでは生きてくれるだろうと思ったんだよね…
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八ヶ岳オフィスでは、デスク前の壁の一番良い場所で、カリンの遺影がいつも微笑んでいる。
オフィス滞在中は、毎日、お焼香をして水を供える。
線香置きの周囲には、ミニチュア・レプリカの土偶さん達が並べてある。
オフィスの「聖域」のようなスペースだ。

彼女の命日は、決算分析山籠もり期間中なので、オフィスで迎える事が多い。
だが、今年は次男夫婦と初孫S君の緊急来日で自宅で迎える事になった。
オフィスの線香置きは、かなり古びてきたので、既に新しいのを取り寄せ済み。

次回出社時に、真っ先にする事は、線香置きの交換と決めている。
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昨日は、雨が降る中、朝からカリンのお墓を掃除して、焼香。

水とお菓子を供えた。
庭のブッドレアがまだ咲いていたので、花穂を1つ取って水に浮かべた。

うん、カリンのお墓らしいお洒落な雰囲気になったね…
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リビングに戻ったら次男とS君が起きていた。
次男に「今日はカリンの命日だよ。」と伝えると、S君を抱っこして、カリンの遺影の前に連れて行った。
カリンは、3人の息子達を見事に使い分けていた。
次男は「甘えれば何でも言うことを聞いてくれる」という存在だったように思う。

そんな彼が「カリン、僕の息子のS太くんだよ。よろしくね!」と遺影に語りかけた。
ああっ、カリンにとって「最高の贈り物」だろうな….
カリンが「Sちゃんの事も任せて。私がしっかりと守るから!」と元気に応えた(吼えた)気がした。
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本当に不思議なのだが、今でもふとした時に、カリンが傍にいる気配を感じる事がある。
社主さまも、まったく同じ事を言う。

かなりの期間、その気配を感じなくなることが何回もあった。
そんな時は「きっと、カリンは息子達の所に遊びに行っているのよ。」と社主さまは呟く。
うん、きっとそうなんだろうね…
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初孫S君の今回の我が家滞在期間は、今日も含めて残すところ8日だ。
「私もSちゃん達と一緒に行って、ちょっと上海を楽しんでくるつもりよ~」というカリンの声が聞こえる。
愛犬(カリン)とは、そういう存在なのだ…
— One Life, Live It !
