2025年8月という「節目の月」が終わる…

当WiL稿房で、何度も綴ってきたが、数年前から2025年の夏場(7月~9月)に世の中は大きな「転換期」を迎え、新たな、そして予測不能な時代に突入する予感がしていた。

勿論、なんの根拠もない「直感」の類であった。

今年の2月に人生初の手術入院をして以降は、世の中が妙に澄んで見えるようになり、「予感」ではなく、それは「既定路線」だと感じるようになった。

そして、今年4月の15日間の欧州役員視察&慰安旅行において、何故か「日本」という地の素晴らしさ(国家や日本人という意味ではない)を改めて実感。

色々な意味で「転換期」に突入したと確信したのは、全然無関係な事象である「トカラ列島の群発地震や相次ぐ火山噴火」と「参院選の結果」であった。

極め付けは、カムチャツカ半島東方沖の大地震。

いよいよ、「大荒れに荒れる時代」が本格的に始まったな!
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そんな中で迎えた「2025年8月」も今日が早くも最終日である

個人的には「1日」は、八ヶ岳隣地の土地売買契約からスタート。

今年の1月頃まではまったくの「想定外」であったこの行動は「偶然と幸運」の連続であった。

約4ヵ月の交渉の結果、ネット上に掲載された当初売却希望価格よりも45%以上も低い坪単価で約定できたのだ。

昨日には、自宅に不動産登記権利情報が届き、約7ヵ月に亘ったこの「想定外プロジェクト」も本当の意味で大団円を迎えた。
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8月の前半は、社主さまと八ヶ岳に滞在し、新たな「庭作り」の構想をじっくりと練ろうと計画していた。

だが、6月末から入院中であった私の父が「10日」の未明に亡くなった。

14日には、退院後の計画を主治医の先生やケアマネさんと打ち合わせするミーティングが計画されていたので、急逝と言えたかもしれない。

11月には92歳の誕生日を迎える予定だったので、享年(行年)は93歳。

5年前に亡くなった私の母に続き、喪主として慌ただしい日々を10日程送った。

これで、私も社主さま(家内)も、両親が泉下の人となった。
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「別れ」があれば「新たな出会い」もあるのが、この世の常である。

「27日」には、上海赴任中の次男夫婦に「長男」が誕生した。

私と社主さまにとって「初孫」である。

現在、次男のお嫁さんのSちゃんのお母様が、先発隊として8月初旬から約1ヵ月上海に滞在中で、産前、産後のサポートをしている。

中国でのビザ免除期間は30日以内なので、9月の初旬からは、社主さまにバトンタッチ。

彼女が、約4週間、上海に滞在して、初孫のS君とお嫁さんのSちゃんの面倒をみる予定だ。

「実のお母さんと同じように頼ってくれるのが、本当に嬉しいわ!」と言いながら、社主さまは、ここ数日、上海に発つ準備で忙しい。

秋の上海滞在は、今年で3年連続だが、やはり4週間となると話が違うらしい。

私は「おじいちゃん」なんて孫に呼ばれるのはお洒落じゃないし、絶対に嫌なので、どう呼んでもらおうか本気で思案中だ…
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と、こんな感じに「2025年8月」、私の予感は見事に的中し、色々な意味で「大きな節目の1ヵ月」となった。

ここ数日は、まるで、夕陽が沈むように「これまでの時代(社会)」が、終わろうとしている感覚を覚えた。

やはり、今年の7月~9月が、その「移行期間」なんだな!

結局、2025年8月の八ヶ岳滞在は2週間弱に留まった。ここ数年では最短だった。だが、私の滞在中は最高気温が30度を超えることは無く、7日を除いて、ほぼ快晴。毎日、オフィスのウッドデッキから樹間越しに沈む夕陽を愛でた。メインウッドデッキから眺める日没とは、また違った風情があるのだ。

「新しい時代」に、私はブッドレアに群がる「蝶」のように対応していきたいと願う。

そう、状況に応じて軽やかに、そして、しなやかにね…

これから何が起こるのか?

正直、ちょっとワクワクしているのだ。

— One Life, Live It !

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