『三十三番土偶札所巡り』— 番外編 素晴らしき哉、坂井考古館!

三十三番土偶札所巡り4日目の旅で韮崎市「ふるさと偉人資料館」にて12番「坂井遺跡の顔面把手」にご対面できなかった私は、八ヶ岳オフィスに戻るとすぐに、その収蔵・展示場所である「坂井考古館」に電話した。見学の予約をお願いするためである。

「坂井考古館」は、考古資料館には珍しい「個人所有・運営」の博物館であり、電話をするのは実は2回目だった。最初は【縄文土偶探訪記】Revival season(2019年3月~11月)の後半戦で、電話に出た館長さんに見学予約をお願いしたのだが、残念ながら案内いただいた候補日が私のオフィス滞在とは上手くマッチできなかった。「またの機会を」なんて考えている内に、結局、【縄文土偶探訪記】を手仕舞う事になった。「未探訪」が心残りとなっていた先なのである。

「今回はどんな事があっても探訪するぞ!」と固く誓って電話をすると、館長の志村さんから「6月13日土曜日の午前9時からでしたら大丈夫です。」とのオファーをいただく。第2次決算分析山籠もり期間中だったので、大喜びでお願いしたのは言うまでもない。

6月13日、約束の時間に遅れる事がないように、社主さまと一緒にD4でオフィスを発った。坂井考古館と思われる民家と施設の前に到着したには8時53分。ここで志村館長さんに電話で確認すると、民家と考古館と思われる蔵が建つ広大な敷地の中にD4を駐車するよう指示をいただいた。

坂井考古館の建物。外観から元々は「蔵」であったのだろうと勝手に推測。雨の日だったが館内は快適だった。

D4から降車して2分程待つと、この敷地内の民家とは別のお隣の大きな家から男性が1人歩いて来た。志村館長さんだった。ご挨拶を申し上げると、早速、蔵のような外観の資料館に案内された。

資料館に入ろうとした矢先、この敷地内の民家(後で館長さんの息子さんの家と判明)から男の子が元気に走ってきた。館長さんのお孫さんとの事。こうして、私と社主さまの坂井考古館探訪がスタートした。

外はかなりの雨だったが、考古館内部は予想外にカラッとしており、ちょっと驚く程の快適さ。ログハウスも凄いが「蔵」の調温調湿効果の素晴らしさをまず実感

続いて、その展示物の素晴らしさに感動。館内中央にある展示ケース内にある12番「坂井遺跡の顔面把手」にまずはご対面。館長さんに写真撮影の可否を問うと「どうぞ撮影して下さい。」と快諾いただいた。

12番「坂井遺跡の顔面把手」実物。やっとご対面が実現。

夢中になって展示物を見学している間に、館長さんから「坂井遺跡」発掘の経緯等を解説いただく。現館長のお祖父様の代から発掘作業を始め、それをお父様が引き継ぎ、現館長は3代目の事。私達は3代目と未来の5代目館長に館内を案内されるという光栄に浴したわけだ。

12番の「坂井遺跡の顔面把手」以外も。当然ながら初対面の土偶さんや土器ばかりだった。

土偶さんの頭部はこれら以外にもいくつも展示されていた。
縄文中期の「土鈴」。こんなに完全な形はこれまであまり見た事はない。
この顔面把手の表情も穏やかで好きだな…
写真右から2つめの「ミニ顔面付き土器」も初めて見るタイプの造形だった。

12番から数えて右5番目に位置する「坂井遺跡出土の縄文中期の土偶さん」は、個人的には「国指定重要文化財級」だと思った。この土偶さんは、三十三番土偶札所巡りの札所に指定されるべきである!

この土偶さんも勿論、初対面! 個人的には「国指定重要文化財」レベルだと思う!

ああ~、この考古館好きだなぁ~。展示ケース以外の壁に並んだ資料や展示物を丁寧に眺めていたら、滞在時間は20分近くになっていた。

こんな具合に壁際にも展示物がギッシリだった。
壁際には写真や文書も並んで展示されており、それらにも目を通していたら滞在時間が20分近くになっていた。

これ以上、お手間を掛けたら恐縮なので、改めてお礼を申し上げて坂井考古館探訪を終えた。そして、これだけ素晴らしいコレクションなのに、入館料は無料であった。

志村さん一族のような「個人レベルの熱意(心意気)」によって、「縄文時代」という「持続可能性」を何よりも大切にした我が国固有の文化の素晴らしさが、しっかりと後生に伝えられて行くのである!

COVID-19パンデミック以降、「日本という国の行く末」を従来以上に悲観的に見るようになったが、坂井考古館を訪れて「日本人はまだまだ捨てたものじゃないな!」と感じた。

考古館探訪後にこんなに「清々しい気分」になれたのは初めての経験だった…