『常時非常時』の時代 — D4で車内泊可能か実験

例年、D4のスタッドレスタイヤへの換装は文化の日が目安、ノーマルへ戻すのは5月のGW中と決めて、ほとんどその通りに実行してきた。そんなわけで今日は朝からタイヤガーデン ピットイン富士見に向かった。

例年、11月3日を目安にスタッドレスタイヤに換装する。今年は11月2日(今日)となった。

タイヤ交換のお客さんは私だけだったので20分も要さずに作業終了。長いお付き合いの店長さんに「今年も交換したのは、私は早い方ですか?」と尋ねると、ちょっと意外な返事が戻ってきた。「今年は例年よりタイヤ交換のタイミングが前倒しになっていて、先週もかなりの数を対応しました。」との事。

「異常気象が続いて何が起こるかわからないから早めに」といった類の動きのお客さんが多いそうだ。用心深い人や「備えあれば憂い無し」型の人って、やはりかなりの数いるんだなと改めて思った。まあ、私もそんなタイプのひとりであるが…

9月、10月と続いた台風の影響で、何らかの被害を被った自動車の数は20万台を超える見通しとのニュースを、数日前にどこかの報道番組で見た事を思い出した。確か昨年の我が国の新車販売台数が530万台前後だったはずなので、20万台はかなり大きな数である。

ここ数週間は、水没、或いは、濁流に流される自動車の映像を毎日、ウンザリする程に見続けてきた。一方で、避難所生活を何らか理由で選択せず(出来ず)に、車中泊している被災者の方についての報道も少なからず目にした。色々な意味で「自動車(愛車)」の役割って重要なんだなと実感した次第である。

水害時の避難性能という観点から、D4の最大渡河水深(70cm)なるものを調べた事(https://triglav-research.com/?p=25397)は、既に『八ヶ岳稿房』で配信した。実は、その前にも「災害時対応」という理由からD4に新たに装備したものがひとつあった。

切っ掛けは、千葉の南房総市の実家が台風15号で被災し、その翌々日に現地を訪れた事だった。結局、大きなトラブルは発生しなかったのだが、万が一の際の物資運搬とかのために、車は荷物の積載量が多い方が良さそうだなと直感。その翌々週に八ヶ岳オフィスを訪れた際に「ルーフラック」を取り付けたのだ。

このルーフラックは、D4新車購入時に様々な値引き交渉の末、最後に付けて貰った、まあ「おまけ」の戦利品であった。

純正なのだがシルバーカラーしかなく、サントリーニ・ブラックのD4の上にちょこんと載せると、頭頂部の毛髪量が少なくなってきたオジさんのようで、どうもお洒落じゃない。そんなわけで、これまで1回も取り付けた事はなかったのである。

お洒落じゃないのは嫌なので、今回は自分でアルミ塗装の方法を調べて、専用の塗料を取り寄せてマット・ブラックカラーに仕上げた。塗装後約1ヶ月半が経過したが剥がれ等はまったく無く、まるで元々がこの色であったかのようにD4にすっかり馴染んでいる。

台風15号襲来後、D4の荷物搭載量アップのために初めて取り付けたルーフラック。シルバーをマットブラックに自分で塗装。しかしまあ、自分で言うのもなんだが、本当に器用だな…

ピットインからオフィスに戻って、超重い4本のタイヤを荷室から下ろした。当然ではあるが、荷室はガランとした。「この際だ。車内泊できるかも試しておこう!」

D4は元々が3列シートの7人乗りである。だが、普段はサードシートを完全収納して2列5人乗り設定で使っている。

これがサードシートのみを収納した普段の状態。これだけでも十分に広い荷室なのだ。

セカンドシートも収納して完全フラット化できるので、果たして快適に車内泊できる広さなのか実地体験してみる事にした。ちなみに、これは初めての実験である。

D4のセカンドとサードシートをフルフラット状態にした。見事に平らだな!

セカンドシートの収納後、荷室に入って寝転がってみた。広さにちょっと感動。身長174cmの私が寝転がってリアゲートを閉じても、足先には15cm位は余裕スペースがある。

身長174cmの私が寝転がってリアゲート閉めたが、足先には20cm以上の余裕スペースがあった。

もっと圧迫感があるかと思ったのだが、D4のルーフは「すべてがガラス」。サンルーフも2箇所あるので、車内は明るくてまるで「サンルーム」のようだ。

元々が全面ガラスのルーフ。サンルーフは前後に2箇所。シェードを開けばサンルームのような開放感だ。

「シュラフがあれば大人2人でも余裕で車内泊できるな。荷物はファーストシートとルーフラックに置けばOKだ。」というのが実験の結果である。

『常時非常時』—これが最近の私の心構えとなっている。非日常的な事が当たり前に起こるであろうこれからの「我が国での日常生活」に備えて、日本人は「自分の事は自分で守る時代」を迎えると私は確信している。