『トリグラフ流ダイエット日記』②—30年で30kg増えてしまった体重と向き合う

11月4日、ダイエット開始からちょうど10kgの減量に成功した事を切っ掛けに、稿房通信「第3の柱」として配信開始を宣言した『ダイエット日記』ではあるが、なかなか二の矢を継げないでいた。そもそも、最終目標である15kg減量(to 75kg)まで、どんなペースで体重を減らしていけるかがわからない。旧『銀行業界鳥瞰図』のように銀行業界のマクロ統計に合わせて配信するといったようなリズムが掴めないのだ。とは言っても、第1号配信から今日でちょうど10日目。さすがに、その後の経過報告をしないのはまずいだろう。今朝の測定結果までを含む体重推移グラフを下に示そう。

体重推移グラフ-2015-1114

結論から言うと、体重は順調に減り続けている。11月4日の朝との比較では 1.15kgの減少で、78.85kgになった。最終目標まで、残すところ3.85kgだ。ケトン体脂肪燃焼システムが順調に稼働しているようで、ゆっくりとではあるが、身体に無理を強いる事なく体重が落とせている。まだ油断大敵ではあるが、時期的な目標である「来年2月末」まで要さずに最終目標に到達できるかもしれない。

さて今日は、私にとって初めての「本格的ダイエット」に取り組むまでのおおまかな体重推移を記す事にしよう。

1980年3月に高校を卒業した頃の身長は171cm、体重は確か73~74kg位だったと記憶している。ウエストは85cm程あったと思う。そう、かなりのぽっちゃり系で、若くして、「メタボ予備軍」みたいな感じだった。勿論、運動は大嫌い。

体重が一気に減ったのが大学時代だ。「多摩動物園付属中央大学」という山の中に広大なキャンパス(保健センターにはマムシに噛まれた場合の血清まで備えられていた)を有する大学だったので、気付かぬ内に足腰を鍛えていたのだと思う(毎日、登山していたようなものだ)。

現在でもそうだが、料理なんて大嫌いなので、学食とアパート近くの定食屋に依存する貧しい食生活を続けた。その結果、1984年4月に野村證券に入社する頃には体重は60kg(厳密には59kg)、ウエストは70cmをそれぞれ下回るようになっていた。体重が減ったのも驚きだったが、身長も大学在学中に3cm伸びて174cmになっていたのだ。

野村證券では、入社式が終わってすぐに地方支店の営業課に配属(当時は男性総合職の新入社員は全員がそうだった)。赴任翌日から「徒歩での名刺配り(挨拶)外交」が始まり、数ヶ月すると自転車での遠隔外交に移行した。まさに「どぶ板外交」の日々であり、極めて健康的(ハードな)生活が続き、体重は60kg前後の水準を維持出来ていた。

変化の兆しが現れたのは、入社1年目の終わりに家内(弊社社主)と結婚してからである。家内の作る食事が美味しくて、美味しくて、毎日、まるで「豚」のように貪り続けた(ちなみに、今でも家内の料理が一番美味しい!)。その結果、営業店2ヶ店の勤務を経て、本社「国際調査室(IRAD)」に異動となった1988年11月には、体重は80kg手前まで増加していた。入社以来、スーツは「J.PRESS」と決めていたのだが、私に合うサイズがなくなってきたのがこの頃だった。

銀行アナリスト稼業に携わるようになったのは1989年からであるが、その後も体重はジワジワと増え続けた。IRAD、野村総研と勤務した後、1993年8月にJ.P.Morganへ移籍したが、その時の体重は83kg位だった。以降、我が体重は「安定増加期」に突入する。現在のような、1年の3分の1程が「地方巡業」という生活になったのは、2007年からであるが、この間の体重は86kg~89kg程度で推移。とは言っても、基本的には「右肩上がり」の状況が続いていたのだ

要約すると「1985年以降、一貫して体重が増え続け、ちょうど30年で30kg体重が増えた」というのが、私の今年7月末までの状況だったのである。では、私が、何を契機に、どんな思いで、「初めての本格的ダイエット」に取り組んだのか? これについては、次回 Vol.3でお伝えしよう!

トリグラフ・リサーチ 稿房主

『トリグラフ流ダイエット日記』 Vol.2