【縄文土偶探訪記 Season 2 Vol.3】 埼玉県立歴史と民俗の博物館(埼玉県)

探訪博物館: 埼玉県 埼玉県立歴史と民俗の博物館
http://www.saitama-rekimin.spec.ed.jp/
探訪日: 2015年4月17日
探訪目的: 「「原ケ谷戸遺跡」出土土偶 他

4月17日は、全国講演における所謂「東京Day」だ。午前中に大手生保をプレゼンで訪問。午後の大手銀行、大手生保向け講演までの間になんと4時間弱(午前11時過ぎ~午後3時)もの隙間時間が出来た。関東財務局@さいたま新都心駅に所用があったため、これをメインに「名も無き土偶さん」探訪の計画を練った。結局、訪問先として選んだのは「埼玉県立歴史と民俗の博物館」である。最寄り駅は、東武アーバンパークライン(野田線)大宮公園駅で、そこから徒歩5分との事。大宮公園駅から財務局最寄りのさいたま新都心駅までは、電車で15分弱しか要しないので、好都合な場所にある。まずは博物館を訪問した後に、財務局での所用を済ませる事にした。

大手生保のプレゼンを終え、そのまま東京駅まで徒歩で移動。東京駅11時19分発の宇都宮線で大宮駅へ。大宮駅で東武野田線に乗り換えて、大宮公園駅着は12時9分。わずか50分の電車の旅である。電車での移動・乗り継ぎだけでなく、駅から博物館への経路まで事前に十分に調べてあったため、12時15分には、計画通りに博物館の入り口前に到着。行き当たりばったりの探訪も意外性があって悪くはないが、分単位でしっかりと組んだ予定通りに動く方が、個人的には性に合っているような気がする。

「埼玉県立歴史と民俗の博物館」は大宮公園の緑豊かな環境の中に、悠然とした佇まいを見せていた。次の予定から逆算すると、滞在可能時間は、残念ながら45分程しかない。急ぎ足でエントランスへと向かった。1Fエントランスの正面が受付である。事前に、縄文土偶(実物)が20体程展示されており、写真撮影も基本的には可(一部は不可)である事を、電話で確認済である。受付の職員(館員)さんに、土偶さん達は「常設展示」コーナーにいらっしゃる旨を教えていただき、常設展の観覧料300円を支払った。さあ、いよいよ土偶さん達とのご対面だ!

「埼玉県立 歴史と民俗の博物館」1Fエントランス周辺の外観。手前広場のスペースは広大で、写真には写っていないが左手側には「弥生時代の復元住居」もある。この博物館は、埼玉県立博物館と埼玉県立民俗文化センターが統合し、2006年4月1日に誕生した。
「埼玉県立 歴史と民俗の博物館」1Fエントランス周辺の外観。手前広場のスペースは広大で、写真には写っていないが右手側には「弥生時代の復元住居」もある。この博物館は、埼玉県立博物館と埼玉県立民俗文化センターが統合し、2006年4月1日に誕生した。

常設展は、受付を左に進む経路である。照明をやや落としたスペースを進むと、いきなり「旧石器時代時代~弥生時代」の展示室が目の前に広がっていた。そして、すぐ左手には、一目で土偶さん達が主役とわかる「縄文展示コーナー」が、私を待ち構えていたのだ。

縄文時代展示スペースの全体像。主に左手側に「土偶さん達」が並んでいる。これまで写真集や書籍で見た事のないものばかりである。前年ながら約20体(点)展示されている土偶さん達の内、ユニークな主役級の4体(点)は「写真撮影不可」であった。
縄文時代展示スペースの全体像。主に左手側に「土偶さん達」が並んでいる。これまで写真集や書籍で見た事のないものばかりである。前年ながら約20体(点)展示されている土偶さん達の内、ユニークな主役級の4体(点)は「写真撮影不可」であった。

他の展示物には目もくれず、まっすぐ縄文コーナーに向かった。これまで、縄文土偶の写真集や書籍で見た事のない土偶さん達が、展示台や壁に並んでいる。展示コーナーの主に左半分が土偶さん達である。土偶さんの配置を持参したノートに書き留めながら、ひとつひとつ注意深く鑑賞した。

20体程展示されている土偶さん達の内、残念ながら4体は「個人所有」であるが故に「写真撮影」が禁止となっていた。この4体は「ミミズク土偶系の顔部分2点」「遮光器土偶系の顔1点」「ニッコリ笑顔系の愛嬌たっぷりの土偶(全身)1体」である。本当は、「縄文土偶探訪記」で紹介したいユニークな逸品ばかりなのだが、規則なので写真撮影を諦めるしかない。断腸の思いで、これら「主役級」を除外して、土偶さん達のアップ撮影を続けた。以下に、写真撮影可の土偶さんの中から「6体」を紹介しよう。

深谷市「原ケ谷戸遺跡」出土土偶。縄文時代晩期 約3,000年前のモノ
深谷市「原ケ谷戸遺跡」出土土偶。縄文時代晩期 約3,000年前のモノ
川口市「新郷貝塚」出土の土偶さん。こちらも「縄文時代後期」約3,000年前のモノだ。
川口市「新郷貝塚」出土の土偶さん。こちらも「縄文時代晩期」約3,000年前のモノだ。
上尾市内出土の土偶さん。これも「縄文時代晩期」(約3,000年前)のモノである。
上尾市内出土の土偶さん。これも「縄文時代晩期」(約3,000年前)のモノである。

上掲3体の土偶さん達は、出土場所は異なるものの、すべて「縄文時代晩期(約3,000年前)」のモノである。これに対して、下掲の2体はやや古く、共に「縄文時代後期(約3,500年前)」のモノだ。後期の2体は、お顔や身体の造形が、上掲の「縄文晩期」土偶さん達よりもシンプルである事がわかるだろう。

桶川市「高井東遺跡」出土の土偶さん。これは「縄文時代後期」約3,500年前と上記3体よりも、やや古い。
桶川市「高井東遺跡」出土の土偶さん。これは「縄文時代後期」約3,500年前と上記3体よりも、やや古い。
こちらも、桶川市「高井東遺跡」出土の土偶さん。「縄文時代後期」約3,500年前のモノだ。
こちらも、桶川市「高井東遺跡」出土の土偶さん。「縄文時代後期」約3,500年前のモノだ。

最後に紹介するのが「胴体のみの小型土偶」さんだ。南山大学人類学博物館探訪記(https://triglav-research.com/?page_id=13099)で紹介した「日本最古級の小型土偶さん」によく似ている(やや大型化)。「縄文時代中期」(約4,500年前)のモノなので、「今回紹介した6体の中では最も古い」土偶さんである。

所沢市「膳棚遺跡」出土の小型土偶さんである。「縄文時代中期」(約4,500年前)のモノであり、今回紹介した土偶さんの中では最も古い。
所沢市「膳棚遺跡」出土の小型土偶さんである。「縄文時代中期」(約4,500年前)のモノであり、今回紹介した土偶さんの中では最も古い。

縄文時代の展示コーナーで土偶さん達を眺めていたら、時間があっという間に経ってしまった。時計を見たら、既に入館から20分近くが経過しており、急ぎ足で、他の展示コーナーを見て回る事にした。県立博物館だけあって、常設展示だけでもとても充実した内容だ。時間に余裕があれば、1時間位はジックリと見て回りたい博物館である。結局、常設展示の見学に費やした時間は約35分だった。見学終了後、1F受付の前を通り過ぎ、エントランス・ロビーでパンフレットや資料を収集した。

さあ、この後は「縄文土偶探訪記」の締め括りである「ミュージアム・ショップ」でのお買い物だ。場所は、エントランス側から見て、1F右手奥の中二階的スペースであり、カフェが併設されていた。ミュージアム・ショップに並べられていたグッズを一通りチェックしたのだが、残念ながら「土偶さん系」グッズは見当たらない。念のため店員(職員)さんにも確認したが、やはり土偶さんに関連したモノは扱っていないとの事。仕方ないので、アイス珈琲を注文し、5分程、博物館外の景色を眺めながら喉の渇きを潤した。

滞在時間が45分に迫ったところでカフェを後にする。これにて、縄文土偶探訪記『埼玉県立歴史と民俗の博物館』は完了である。①主役級の土偶さん達4体が写真撮影不可であった事 及び ②ミュージアム・ショップで扱う土偶さん系グッズが皆無であった点がやや残念ではあるが、20体に近い「名も無き土偶さん達」に対面できたのだから、良しとすべきだろう!

トリグラフ・リサーチ 稿房主