復元住居に思いを馳せて — 与助尾根遺跡の冬

尖石石器時代遺跡が「茅野市尖石縄文考古館」の道1本を隔てた南側に位置するのに対して、『与助尾根遺跡』は考古館の北側に広がっている。この遺跡は、平成5年に尖石遺跡の一部として「特別史跡」に追加されているので、広い意味では「尖石遺跡」と言い得るかもしれない。

茅野市の「縄文プロジェクト」のWebには「昭和21年、諏訪教育会から遺跡発掘の指導を依頼された宮坂英弌が、縄文時代のムラ全体を発掘する目的で調査した遺跡が与助尾根遺跡です。この発掘は、諏訪地方の高校生の間に考古学ブームを呼び起こし、考古学の道に進む人たちが現れました。茅野市尖石縄文考古館の名誉館長をつとめた戸沢充則明治大学名誉教授もその中の一人でした。」という記述がある。八ヶ岳縄文文化への思いが、世代を超えて受け継がれてきたというストーリーに、ちょっと感動した。

この遺跡の最大の特徴は、6軒の復元住居(竪穴住居)が点在する事にある。雪に覆われた復元住居もあり、縄文人が冬の間、どのように生活していたのか想像力を掻き立てられる。遺跡の基本情報は下記の通りだ。

与助尾根遺跡
所在地:茅野市豊平南大塩
標高: 1,070m
面積 :67,000㎡(尖石遺跡を含む)
年代: 縄文時代中期(約5000年前~約4000年前

尖石縄文考古館の裏手(北側)にある橋のような構造物を渡ると「与助尾根遺跡」が広がっている。
橋を渡って真っ直ぐ進むと与助尾根遺跡の案内地図板がある。尖石遺跡と合わせて67,000㎡もの広大なスペースだ。
縄文時代の復元住居は6軒。場所や陽当たり具合によって雪に覆われた住居とそうでない住居がある。
この2軒は特に陽当たりが良好で、雪はほとんど解けている。私が住むなら、この写真の奥の住居が好みだな。
遺跡の西側を眺めた際の風景。やや下りのスロープで見晴らし良好。西側の先には「諏訪湖」がある。
遺跡の東側には広葉樹林が広がる。標高は1,070mと高いが、陽当たり良好で雪解けはかなり進んでいる。
遺跡南側に位置する「茅野市尖石縄文考古館」の建物。国宝土偶さんが2体も収蔵されている日本で唯一の考古博物館だ!

遺跡を訪問し、復元住居を見学する度に、「八ヶ岳の敷地内に竪穴住居があったらお洒落だな」と思う。幸い600坪の敷地内には「超趣味の小屋」を建てる(置く)位のスペースは、まだ十分にある。

だが、ツリーハウス・プロジェクトを優先すると決めているので、グッと堪えて、竪穴住居の事は考えないようにしている。何事においても大切なのは ①冷徹な位の優先順位付けと ②戦力の逐次投入絶対回避 なのである!

『八ヶ岳縄文遺跡の四季 ④』

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