【縄文土偶探訪記⑰】— 南山大学 人類学博物館(愛知県)

4月16日、全国講演の地方巡業は5日目を迎えた。この日は日帰りの東海地区トリップ。愛知県・岐阜県で地域銀行3行向けの講演が組まれていた。午 前中に名古屋で1件の講演を済ませた後は、午後の同じく名古屋での講演まで2時間弱の隙間時間が出来た。さあ、今シーズン初の「地方版」縄文土偶探訪チャ ンスの到来だ。

今年度から再開予定の学会活動の関係で名古屋大学を訪問する所用があり、そのついでに、お隣の南山大学「人類学博物館」を探訪するのが目標だ。限られた隙間時間での博物館探訪は、タクシーやバス移動の場合、交通状況に左右され、時間が正確に読めず、粗いプランしか組めないの が難点である。これに対して、電車や地下鉄での移動は、かなり綿密な予定を組み立てる事が出来る。今回の探訪記@名古屋は、可能な限り地下鉄を利用する事に決定。まずは「南山大学人類学博物館」を短時間で訪問し、その後に名古屋大学に回るのが無駄がないと判断、実行に移した。

午前の講演完了後、直ちに地下鉄東山線栄駅に移動し、ぎりぎりセーフで11時11時分初の藤が丘行に乗車。本山駅で地下鉄名城線の右回りに乗り換えて、博物館最寄りの八事日赤駅着は11時33分。名古屋で地下鉄に乗るのは初めての経験だが、事前準備が万端だったので、予定通りに計画が進んだ。目指す「南山大学人類学博物館」はアクセス情報では、徒歩約8分との事。博物館Webサイトに、八事日赤駅から大学正門までの経路が詳細に記されていたため、方向音痴の私でも迷う事なく正門に辿り着いた。

正門総合受付で「人類学博物館」の所在を確認すると、受付の少し先にある分岐を左折して正面の建物との事。呆気ない程スムースに博物館が所在するR棟に到着した。時間は11時40分を少し回った所。かなり早足で歩いたためか、ちょっと汗ばんだ。

南山大学人類学博物館がある建物(R棟)の外観。正門総合受付を直進し、すぐに左折すると目の前に建物が見えてくる。博物館は地下1Fにある。
南山大学人類学博物館がある建物(R棟)の外観。正門総合受付を直進し、すぐに左折すると目の前に建物が見えてくる。博物館は地下1Fにある。

午後1時開始の2件目の講演に間に合うためには、博物館滞在時間を15分以内とする必要がある。直ちに、R棟地下1Fにある人類学博物館へと向かった。階段を下り切るとエントランス、右手に堂々たる石棺、その奥には受付があった。

地下1Fへ向かう階段を下り切ると、博物館のエントランス・スペースが目の前に広がる。写真の石棺が存在感を誇示。石棺の奥には受付がある。受付では、条件付で「展示資料に触れる事が出来る」事を説明された。
地下1Fへ向かう階段を下り切ると、博物館のエントランス・スペースが目の前に広がる。写真の石棺が存在感を誇示。石棺の奥には受付がある。受付では、条件付で「展示資料に触れる事が出来る」旨を説明された。

入館料が無料である上に、博物館オリジナルのクリアファイルとパンフレットを手渡される。その際、こちらの博物館が「資料を実際に手で触る事」が可能だと知る。ただし、資料に傷を付けてしまう事を避けるために、時計やブレスレットを外す必要があるという。私の場合は、主に土偶を対象とした見学であり、手で触る事はほとんど無いであろう旨を伝え、足早で展示コーナーへと向かう。

今回の探訪のお目当ては「日本最古級の小型土偶」である。千葉県花輪台貝塚出土の土偶さんであり、1996年に、三重県松阪市粥見井尻(かゆみいじり)遺跡で現存する日本最古の土偶(注1)が発掘されるまでは、この土偶が「最古」と呼ばれていたのだ。

「元最古」の土偶さんは、展示室右手の壁にすぐ見つかった。土器の破片6個と同一のプレートに展示されている。下掲写真の右下隅がそれだ。「小型」である事は事前に知っていたのだが、予想以上に小さい。定規で測ったわけではないが、高さは5cm程度、横は3cmにも満たないだろう。

展示室入り口を入ってすぐの右手壁に広がる展示物。写真の右隅に小さく移っているのが「日本最古級の小型土偶さん」である。想像していたよりもさらに小さかった。
展示室入り口を入ってすぐの右手壁に広がる展示物。写真の右隅に小さく移っているのが「日本最古級の小型土偶さん」である。想像していたよりもさらに小さかった。

国宝級土偶さん達には、大きさ、造形美、迫力等々において、到底及ばないが、「私が土偶さん達のルーツの1人なのよ」としっかりと自己主張している。壁一面に並べられた収蔵物のひとつで、展示に特に目立った工夫も凝らされていないのに、すぐに見つける事が出来たのは、やはり彼女が放つオーラのゆえであろう。遮るガラスケース類は無いので、グッと近寄りマクロで写真を数枚撮影する。プレートにピッタリと留められているので、アップ撮影しか出来ないが、満足できる写真が撮れた。

「日本最古級小型土偶さん」のアップ写真。ガラスケースが無いため、マクロ撮影が可能だった。高さは5cm、横幅は長い部分で3cm前後と思われる。ニックネーム等の表示は無かった。
「日本最古級小型土偶さん」のアップ写真。ガラスケースが無いため、マクロ撮影が可能だった。高さは5cm、横幅は長い部分で3cm前後と思われる。ニックネーム等の表示は無かった。

写 真撮影後、他の展示物を見ていると、女性職員さんらしき方が私の近くをゆっくりと歩いていた。念のため「これが、以前、日本最古と呼ばれていた土偶ですよ ね? 他に土偶の展示はありませんか?」と尋ねる。どうやら私の勘違い、学生さんだったようだ。「少々、お待ち下さい。」という言葉を残し、博物館の奥の方に去って行った。

2分程すると男性の職員さん(おそらく学芸員さんだろう)が私の所に寄ってきて、壁に展示された「小型土偶さん」の解説をしてくれた。私の予想通り、三重県や滋賀県で最古級の土偶が見つかるまでは、最も古い土偶のひとつとされていたそうだ。

「他 にも何点か土偶がありますので、こちらにどうぞ」と、展示室中央付近の引出型収蔵スペースに導いてくれた。職員さんが、しゃがんで下の方の取っ手を手前に 引き出すと、あらあら、「土偶さん達」が勢揃い。「これが当館収蔵の見学できる土偶のすべてです。直接手に取る事も出来ますがどうしますか?」と尋ねられた。実は、先程、最古級土偶さんの首の所に、右手人差し指をちょこんと置いてパワーを分けてもらったばかりだ。時間の制約もあるので、手に取る事は丁寧にお断りし、写真撮影の許可だけをいただいた。「では、見学が終わりましたら、引出を元に戻しておいて下さい。」と言い残し、職員さんは、博物館奥の方に戻っていった。

男性の職員さんが収蔵ケースを引き出して見せてくれた土偶さん達。すべてがパーツで全15個。出土した遺跡は様々である。
男性の職員さんが収蔵ケースを引き出して見せてくれた土偶さん達。すべてがパーツで全15個。出土した遺跡は様々である。

ガラス越しになるが、私もしゃがんで土偶さん達を激写。数は全部で15個、すべてパーツである。目を引いたのは、上段右から2番目の「宇宙服を着たような岩偶さん」の上半身(下掲写真上)上段左端の「三角頭お口まん丸土偶さん」の上半身(下掲写真下)である。前者は、青森県三戸郡「小向遺跡出土岩偶」、後者は、千葉県銚子市「余山貝塚出土土偶」と解説が記されていた。

引出収蔵ケースで1番目立ったのは、青森県三戸郡「小向遺跡出土岩偶」である。まるで宇宙服を着たアストロノーツのようだ。岩偶とは凝灰岩、砂岩などでつくられた石製の人形であり、土偶さんのお仲間である!
引出収蔵ケースで1番目立ったのは、青森県三戸郡「小向遺跡出土岩偶」である。まるで宇宙服を着たアストロノーツのようだ。岩偶とは凝灰岩、砂岩などでつくられた石製の人形であり、土偶さんのお仲間である!
こちらは、千葉県銚子市「余山貝塚出土土偶」である。三角の頭とまん丸のお口は、八ヶ岳界隈の土偶さん達とは、かなり雰囲気が異なる。何となく「南方系」のイメージを抱くのは、私だけかな?
こちらは、千葉県銚子市「余山貝塚出土土偶」である。三角の頭とまん丸のお口は、八ヶ岳界隈の土偶さん達とは、かなり雰囲気が異なる。何となく「南方系」のイメージを抱くのは、私だけかな?

ふと腕時計を見ると、滞在時間は既に13分を過ぎていた。急ぎ足で他の展示スペースをザッと眺めて受付へと向かう。こちらには、ミュージアムショップはない が、無料の訪問記念絵葉書5枚セットと様々な無料の資料が置いてある。絵葉書1セットと縄文時代に関係のありそうな資料数枚(注2)をいただく。見学中に気が付いたのだが、こちらの展示物には「点字の解説タグ」が付されていた。絵葉書1枚1枚にも点字が付いている。この博物館の「精神」のようなものが感じられて、とても好感を覚えた。

最後に、受付の女性職員さんにお礼を述べて、縄文土偶探訪記「南山大学人類学博物館」編は無事に終了。滞在時間は計画通りの約15分。最短の見学時間で、これまで探訪した土偶さんの中では「最古・最小」の物(者)に出会えた事になる。あぁ、時間制約が多い中、無理をして探訪した甲斐があった…

(注1)現在では、滋賀県東近江市永源寺相谷町の相谷熊原遺跡で2010年に発見された土偶も日本最古級(縄文時代草創期)の土偶とされている。
(注2)いただいた資料から、南山大学人類学博物館と東京の明治大学博物館が協力・友好関係にある事を知る。明治大学博物館の考古部門には土偶さんも展示されているようなので、機会があったら訪問したいと思う。

トリグラフ・リサーチ 稿房主
探訪日:2015年4月16日(木曜日)

『縄文土偶探訪記』 Vol.17